陽だまり  |  AoyamaKazuki

青山一樹

 

陽だまり

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 郵便局に行った帰り、日本大通りの銀杏並木を歩いていた。
 秋晴れの空と黄色く色づいた銀杏の葉のコントラストが鮮やかで、まるで絵画の中にでも迷い込んだような美しさに思わず立ち止まっていた。
 開港からほどない明治初期に整備されたという、並木を配した欧州型の広い歩道。大正期の震災や昭和期の戦争などの歴史を経て、現在もなお時代の流れを見つめ続けている。
 二十一世紀になってみて思ったことがある。子供のころに想い描いていた未来にはまだ追いついていない。車が空を飛び、他の惑星へ銀河鉄道が走り、ロボットが活躍するアニメに出てきた二十一世紀の未来都市とは違う。それでも

都会では高層ビルが建ち並び、その間を高速道路が奔っている。あの未来予想図に時代は追いつくのだろうか。
 この場所では、並木の風景を写真に撮る人や、イーゼルを置いて絵を描く人、小さな子供を連れた若い母親たち、様々な人々が並木のもとに集う。それぞれに、この昼下がりのゆったりとした時間と風景を愉しんでいる。
 やはり、この場所に決めてよかったと思う。ここに来る前は、山手線の恵比寿駅の近くに事務所を借りていたのだが、締め切りに追われながら執筆の仕事をしていると、いつの間にか気持ちがささくれ立ってくるのを感じるときがあった。だがこの街に移転してからは、不思議とそれがなくなったように思う。
 石畳や洋館のある風景、港の潮風など、開国から日本の歴史を刻んできたこの街では、時間の流れかたが違うように思える。やはり未来に

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「へ?」
 突然のことに状況がのみ込めず、我ながら間抜けな返事をしてしまった。
 彼女は微笑みながら、僕の横に並んで座った。陽射しの加減で判らなかった彼女の顔がようやく見えた。神仏ではなく、生身の人間であるのは間違いないようだ。
 どこかで会ったことがあるような気もするのだが、それでも僕には天女が舞い降りてきた、としか思えなかった。
「カプチーノお待たせしました!」
 きょとんとしている僕に、笑顔で彼女はそういった。
「あ!」
 珈琲の香りと店内の風景が脳裏に浮かんだ。
「やっとわかりました?」
「あ、そうか! そうだよね!」
 人の顔や名前を覚えるのが不得手な僕は、そこでようやく気がついた。いつもの珈琲ショップの店員さんだ。事務所のあるビルの一階がその珈琲ショップで、僕はよくカプチーノを注文

もこの風景は残して欲しい。
 歩道にある低く作られた柵に腰を下ろしてみる。周囲には古くからこの街を見守ってきたレンガや石造りの重厚な建物が並ぶ。耳を澄ませてみると、その建物たちから古い時代の街の喧騒が聞こえてくるように感じる。
 ひらひらと舞い落ちてくる黄金色の葉を追いかけながら、歓声をあげて走りまわる小さな子供たちを微笑ましく思いながら眺めていた。
「子供、お好きなんですか?」
 頭上から柔らかい声が降ってきた。
 どこか懐かしいような、それでいて聞き覚えのある若い女性の声だった。まさか銀杏の精霊でもあるまいにと顔をあげてみると、そこにはひとりの女性が微笑みながら立っていた。正確には、自分からは見上げる格好でその女性はちょうど太陽を背にして立っていたため、シルエットだけが最初に目にはいってきた。まるで後光のさした女神か菩薩像のようだった、というのは言い過ぎだろうか。
「私も大好きなんです」

姿のこともあるのだが、普段はなり振り構わずに履き古したジーンズといった格好だ。作家という仕事柄、ひとりで事務所に籠ってただひたすらにキーボドを打つだけの日々だから、できるだけ楽な格好が一番いい。三十路に入ったばかりの独り身であるからして、洗濯も簡単に済ませられアイロン掛けの手間などかからないものがいちばんだ。今日もTシャツの上に長袖のシャツだ。しかも古着屋でもそろそろ難色を示すくらいの代物だ。
「先生っていうのはやめて欲しいな。子供は好きだよ」
 僕の要望と、彼女からの質問に同時に答えた。
「はい、それじゃ青山……さん、でいいですか? 私も大好きなんです」
 そういって、彼女は少し首を傾げるようにして微笑む。
 先生の件は解決したようだが、顔と名前を知っているだけ(彼女の名字を読み間違えてはいたが)で、まったくの他人ともいえる相手か

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する。可愛い娘だなと思っていたが、制服姿の彼女しか見たことがないのと、店の外であることの二つの要素が重なり、まったく気がつかなかった。
「萩原さん、だよね?」
 なかなか人の名前を覚えない僕でも、制服の胸についているネームプレートで彼女の名字だけはすぐに覚えた。
「あ、オギワラです。よく間違えられるんです。オギワラ・カナコです」
 僕の中途半端な自信は見事に玉砕し、歩道に舞い落ちる枯れ葉のごとく、はらはらと散った。作家ともあろうものが字を読み違えていた。ノギヘンではなかったのか。因みにカナコの字は「華奈子」と書くそうだ。
「青山先生、子供お好きなんですか?」
 どうやら、僕が作家・青山一樹であるということは承知しているようだ。
 ただ、僕には先生といわれるほどの功績もなければ風格もない。そもそも先生という柄ではない。たまには取材などでスーツやジャケット

ら急に『好きです』といわれても困惑するだけだ。彼女はその気でも、こちらの心の準備というものがある。
「あ、子供ですよ。先生、子供のことです」
 僕のにやけた顔に浮かぶ困惑の表情を読み取ったのか、慌てて彼女が補足した。僕の舞い上がっていた自意識は急転直下、深海へと沈み込んでいった。
「ごめんなさい、また先生っていっちゃいましたね」
 謝るほどのことではないのだが、謝意とは反して何やら彼女は楽しそうだ。こちらもついつられて笑顔になってしまう。彼女の生まれもっての性格なのか、ショップに勤めるうちに自然と身に付いた仕草なのか。後者の場合、顔は笑顔でいても目の表情が違うのだ。彼女の笑顔は、洗い立てのシャツのように爽やかな心地よさを覚える。
「笑顔が、素敵だね」
 つい、口から出てしまった。日常から使い慣れていない言葉だったので、まるでドラマのな

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かのセリフのように聞こえる。僕にはカッコよすぎて似合っていない。そう思うと、妙な緊張から手に汗をかいていた。
「せ……、青山さんも素敵だと思います。笑顔」
 先生といいかけて慌てて訂正したが、どうやら彼女にとっては「先生」の方が呼び易いようだ。気持ちの内側から溢れでてくる爽やかな彼女の笑顔をみていると、どう呼ばれてもいいような気がしてくる。彼女の声が耳朶にふんわりと心地よい。
「漢字で先生だと『学校の先生』みたいだから、カタカナで『センセ』にしたらどうですか?」と、彼女が言う。
 どちらにしても耳に聞こえる音としては同じようなものだが、確かに漢字だと、どうしてもイメージが硬い。それに比べてカタカナだと、だいぶ硬さが砕けて言葉のもつ比重のようなものが軽くなるような気がする。
 何だか騙されたような気もするが、それでよしとする。

ら、自己紹介とも身上調査ともつかぬような話をしながら歩いた。
 彼女は沖縄出身で現在二十四歳。大学入学を機に上京し、厳しい状況のなかでも何とか就職したのも束の間、今年の春先に会社が倒産。再就職先を探しながら、ひと息つこうと入った珈琲ショップの「社員募集!」の張り紙をみて面接を申し込んだところ、即日採用となり、現在に至る、とのことだった。
 僕も、ここに越してくるまでの経緯を簡単に語った。
「まさかセンセと、こんなふうにお話できるなんて思ってもみませんでした」
 雑誌の短編とコラムなどがポツポツとはあるが、小説家としての出版作品数はまだまだ少ない。大増刷もなければ、有名どころの受賞経験もない。新進気鋭というにはあまりにもおこがましい、つまりは無名の、いや「売れない作家」というのが妥当な自己評価であろうと思っている。
 そんなこれまでの僕の作品を、彼女は全て読

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「それじゃ『センセ』でいいですね」と言って、彼女は小首を傾げて微笑む。
「今日は、仕事はお休み?」と、訊いてみた。
「早番で、さっきあがったところです」
 考えてみれば、あの店は早朝から深夜まで営業しているのだから、早番と遅番のシフトくらいあるのが当然だ。今まで、そこで働く従業員の勤務時間を気にしたことなどがなかった。
「それじゃ、これから家に帰るところ?」
「はい。でも本屋さんに行ってから帰ろうかと」
「あ、そうだ。僕も行かないと」
 すっかり失念していた。雑誌のコラムに書くための資料を探さないといけなかったのだ。幸い財布は持っていたから、このまま書店に行けばいい。
「どこの書店?」と、訊いてみた。
 彼女は伊勢佐木町にある大きな書店に行くというので、散歩がてら一緒に行くことにした。あそこなら資料になる書籍も数多くある。
 馬車道を抜けて伊勢佐木町に向かう道すが

んでいるという。作中の好きな登場人物や台詞、著者ですら覚えていないような細かな描写などの感想を話してくれる。
  そこまで読み込んでいることに感心してしまう、と同時にそんな感じ方もあるのかと新しい発見に刮目する。嬉しいというよりも、むしろ申し訳ないような気持ちになる。
 彼女はとても愉しそうに話し、何やらまわりの空気がとてもふわふわとしている。そよ風にのせるように彼女の言葉がキラキラと舞う。
 並んで歩いている僕もその煌めく空間の魔術にはまり、ふわふわと心地いい。もう少し、このまま彼女と並んで歩いていたい、という気持ちが膨らんできていた。だから書店の看板が見えてきたときには「何故こんな近くにある。もう少し遠くにあれば、この至福の時が長く続くのに」と、恨みに思ってもみた。しかし、僕が産まれる前からこの場所にあるのだし、書店に何ら責任はない。恨みに思うのはお門違いも甚だしい。
 そうこうしているうちに目的地に到着してし

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まう。まことに残念だ。
 彼女は一階のフロアでいくつか見たいものがあるというので、私は四階の医学書のフロアに向かう。医学書といっても、僕は医学部出身でもなければ医学に通じているわではないので、分厚い医学用語が羅列された専門的な書籍を求めているわけではない。疾病やウィルスなどのいわゆる「病気」ではなく、近年の病院の経営手法や、医師、看護師の労働環境、医療過誤による訴訟や裁判、などといった命に対峙する側の「病い」にフォーカスするコラムを書くための資料だ。
 あらかじめインターネットで調べて目星はつけておいたので、三冊ほど資料になりそうな本を手にとり、そそくさと会計を済ませる。
 一階に降りてみると、ファッション雑誌と単行本を胸に抱えてレジに向かう彼女の姿を見つけた。背筋が綺麗に伸びた、とてもしなやかな歩き方だ。まるでハミングでも聞こえてきそうなにこやかな横顔を見つめるていると、息をすることさえ忘れそうだ。

ない。高名な作家ならいざしらず、僕のような無名のものは隅っこに申し訳程度にしか置かれない。彼女はそんな僕の著作が入荷するのを待っていてくたようだ。またまた嬉しいような、申し訳ないような気持ちになる。
「ありがとう。でも、わざわざ買ってくれなくても君には贈呈するよ」
 そう言って、彼女から自分の著作を受け取って元あった場所に戻す。これはまた別の読者の手に渡りますように、と少しだけ願いをこめて――。
 そんなわけで、僕たち二人は事務所に戻った。
 扉をあけると、少し空気がどんよりとしていた。
 事務所はいわゆるスタジオタイプの大きめワンルーム。扉を入って正面に、六人掛けのテーブルがあり、作業台として使っている。執筆は勿論のこと、これだけの大きさがあると資料やイラストなどを広げるのに便利だ。椅子は二脚のみ。あまり人が訪ねてくるような環境ではな

 実際、僕は我を忘れて彼女に見入っていた。息苦しくなって我に返るまで、本当に呼吸するのを忘れていた。誰も僕のことなど見てはいないのだが、気恥ずかしくなって、「まいったなぁ」などと小声でぶつぶついいながら彼女のところに歩いた。
 僕に気がついた彼女は、少しだけはにかむように微笑んだ。
「今日、やっと入ったみたいです」
 そういって胸に大事そうに抱いているものを見せてくれた。
 ファッション誌だと思っていた一冊は料理誌で、そしてもう一冊の単行本は、二日前に出た僕の著作だった。
 週刊誌や月刊雑誌などは発売日に店頭に顔を揃えるが、文芸の単行本などはそうとは限らない。オフィス街ではビジネス関連の書籍がメインとなるし、子供の多く住む住宅街では参考書やコミック類が棚の多くを占める。また書店ごとに好みがあったり、流通経路の違いがあったりするので、必ずしも全国一律というわけでは

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 珈琲を持っていくと、彼女は「凄い数ですね」と目を丸くしながら壁の本棚を興味深そうに眺めている。単なる好奇の目で書籍全体を眺めるというのではなく、一冊一冊の背の文字から中身を読み解くような、読書好きならではの眼差しだ。まるで、赤外線スキャンでもしているのかと思えるくらい見入っている。僕の視線も、そんな彼女の横顔につい惹き付けられてしまう。
「あ、そうだ」といって、無理やり彼女から視線を引き剥がして奥に置いてある段ボール箱を開ける。著者贈呈分として版元から送られてきたものがまだ数冊残っている。その中から一冊抜いて彼女に渡した。
「ありがとうございます」
 彼女は表紙の上を優しくなでながら、嬉しそうに僕を見た。
「そうだ、サインしておこうか」
 手近にあった銀色の太めのペンでサインと日付、そして『華奈子さんへ』と書いた。と、いっても大きな書店でサイン会をするほどの作

いので、それで十分だ。
「そのへんに座ってて」
 彼女をそこに座らせてから、窓をあけて換気をしつつ珈琲を煎れる。
 テイクアウトもあるので、カプチーノを飲みたいときは彼女のいる店で買ってくるが、ふだんはペーパードリップだ。元町や伊勢佐木町あたりで、自家焙煎の豆を買ってくるのが最近の楽しみになっている。店ごと豆ごとの香りやコクの違いを味わうのがまた面白い。
 作家という仕事柄、事務所の壁はほぼ全面が本棚になっている。扉を入ると左右の壁は突き当たりの窓付近までびっしりと書籍が並ぶ。そして部屋の中央よりやや奥にパーテーションのように本棚を配置している。数えたことはないが、数千冊はあろうかと思われる書籍の収納スペースの確保と、完全ではないがその奥にある居住空間の目隠し的役割も果たしている。真上から見ると、ちょうどアルファベットの「H」に似ているだろうか。それはちょっとした図書館のようだ。

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