龍 神 橋  |  AoyamaKazuki

 それなら反対側にある龍神の滝の方に向かったのだろうか。それなら、鬱蒼と木が生い茂る暗闇のなかを、懐中電灯もなしで向かっていったというのだろうか。彼女が持っていた懐中電灯は石碑の前に転がっている。が、杏奈だけがいなくなっている。
「杏奈が、——消えた」
「え?」
 美咲の言葉で、瑛子はやっとその異変に気がついた。
 ふたりで顔を見合わせると、小走りで橋を渡って石碑の前に立った。
 美咲は石碑の前に転がっていた懐中電灯を拾い上げた。
「ほら、懐中電灯は置き去りだよ。杏奈はどこにいったのかな?」
「ウソ。どうしよう……」
 瑛子は不可思議な出来ごとを目前にして、思考停止に陥っている。
 石碑にはやはり玉をはめ込むような窪みがあった。掘られている龍の量目に赤い石のよう

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なものが埋め込まれていた。きっと赤く光りだしたのは、この龍の目なのだろう。
 月明かりに反射したにしては、その光はあまりにも眩しすぎた。何か強い意志のあるような光り方だったように思える。
「とにかく探してみよう」
 ふたりは杏奈の名前を呼びながら暫く辺りを探してみたが、とうとう杏奈の姿は発見出来なかった。
「もう家に帰ったんじゃない?」
 美咲もそう思いたかったが、先ほどの状況で杏奈が自分たちの前を通り過ぎた形跡がないことを語った。
「でも、私たちが気づかなかっただけかも知れないじゃない」
「うん、それならいいんだけど……」
 念のために川の中も確認してみたが、とうとう杏奈を発見すること出来ずにふたりは帰路についた。
「きっと大丈夫だよ。家に帰ったんだよ」
 説明のつかない出来ごとに、瑛子は無理にで

も杏奈が家に帰ったことにしたかった。
 待ち合わせ場所だった二本松のところでふたりは別れ、それぞれの自宅に戻った。

 翌日、少し早めに教室にいってみると、もう瑛子がきていた。そして杏奈も何ごともなかったかのように自分の席に座っていた。
 おはよう、と声をかけたが瑛子の表情がすこし硬い。杏奈の方を窺いながら「どうしたの?」と瑛子に訊いた。
「杏奈は行ってないって」
 瑛子の口調はあきらかに怒っている。
「え?」
「昨日の夜は外には出てないんだって」
「だって、昨日……」
 瑛子の怒気を含んだ言いかたにただならないものを感じた。
「ヘンでしょ? 私たちちゃんと見たのよ。懐中電灯だってあったじゃない」
 杏奈の落としていった懐中電灯は瑛子が持って帰ったのだ。

「わざわざ持ってきてあげたのに、知らないっていうのよ。おかしくない?」

「知らないって? 杏奈が?」
 確かに瑛子の手元には、杏奈が昨夜落としていった懐中電灯があった。しかし、返そうとしても知らないというのは、どう考えてもおかしい。
 昨夜の出来ごとを知られたくないからだろうか。龍神橋に行ったことは誰にも知られてはいけないはずだ。だから隠そうとしているのだろうか。
 だが昨日、学校の帰り道に自分で龍神橋に行くようなことをいっていたのだから、その時点で論理破綻している。今さらなかったことにしても、そこに意味があるのだろうか。
「きっと内緒にしておきたいんだよ。昨日のことは見なかったことにしてあげようよ。ね」
「それなら、内緒にしておいてって言えばいいじゃない。何か感じワルい」
「でも無事に帰ったのなら、よかったじゃな

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 瑛子は急にそっけなくなった杏奈の態度に不満があるようだ。美咲も彼女に何が起こったのか心配である。
「身体の調子でも悪いのかな? それならそうといってくれてもいいよね」
 瑛子はやはり心配しているようだが、自分たちに打ち明けてくれないことにやはり不満があるようだ。
「何だか魂が抜けちゃったみたいな感じだったけど……」
 美咲は、今日の杏奈のようすを見ていてそう感じた。
 いつもおしゃべりな杏奈が、今日はほとんど口を開いていない。何か話しかけても上の空といった感じで、まともな会話が成立しなかった。
 昨夜のことが何か関係しているのだろうが、それにしても「知らない」はないと思う。ずっと親友だと思ってきたのに。役に立つかどうかは分からないけど、悩み事があるのなら相談してくれてもいいんじゃないだろうか。

い」
「心配して損した!」
 まだ怒っている瑛子を美咲が宥めているうちに、チャイムが鳴ってホームルームが始まった。
 その後、昼休みにでも杏奈と話をしてみようと思っていたが、美咲は生徒会の打ち合わせで忙しく、話す時間もないまま下校時間になってしまった。
 帰り道にでも話をしようと思っていたが、帰り支度をしているうちに杏奈の姿が見えなくなっていた。
「杏奈は?」
「え? 今いたのに。帰っちゃったの?」
 追いかければ校門のあたりで捕まえられるよといいながら、ふたりは急いで彼女の後を追った。しかし校門どころか、帰り道にどこにも彼女の姿は見当たらなかった。
 いつもは三人でおしゃべりしながら帰るのに、杏奈はひとりで先に帰ってしまった。
「どうしたんだろうね?」

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 杏奈のようすがおかしくなってから数日が経った放課後、美咲と瑛子が校門を出たところで神谷圭介が後ろから走ってきて彼女たちの前に立った。
「あのさ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
 となりのクラスなのでめったに話をすることもないが、それでも少しは話したこともある。それでも折り入って訊きたいことがあるなどと、圭介からいってきたのははじめてだ。
 彼女たちの見合わせた顔には、クエスチョンマークが浮かんでいる。
「本村のことなんだけど……」
 杏奈のことだ——。
「何かあったのか?」
 龍神橋の一件以来、杏奈はまるで人が変わってしまったかのように無口になってしまっていた。明るくおしゃべりだった彼女の姿は、今はもうどこにもない。何人かに同じことを言われていた。——何かあったの?

 まさか龍神橋のことは言えない。いっても信じてはもらえないように思う。だから、身体の調子が悪いみたいだと、そういうだけにしておいた。それ自体は間違いではないだろう。
 まさか杏奈の意中の人からそういう質問をされるとは思っていなかったので、少なからず驚いた。
 圭介くんも心配してるんだ……。
 杏奈の一方的な片想いだとばかり思っていたので、彼女のことを訊いてくる彼の心配が嬉しくもあり、ちょっとだけ羨ましかった。
「身体の調子がよくないみたいだけど……」
 それ以上は彼に何といっていいのか分からない。となりの瑛子も力なく頷いている。
「病院とか行ったの? 大丈夫なのか?」
 彼は同級生という関係以上に杏奈のことを心配しているらしい。美咲に向けられる真剣な眼差しが痛いくらいだ。
「杏奈に直接いってあげたらいいのに」と瑛子がいう。
 瑛子も彼の気持ちがわかったらしい。私たち

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に間接的に訊くよりも、本人に直接いってあげた方が喜ぶと思う。
「いや……。あいつ、無反応なんだよ。無視してるのとは違うような。何か夢遊病者みたいな感じっていえばいいのかな」
 彼も同じ感想をもっていたのだ。やはり杏奈の今の状態は尋常ではない。
 誰かに相談できればいいのだが、経緯がやっかいなだけに持ちかける相手が浮かんでこない。
 病院なら心療内科か。で、なければ憑き物落とし?
 
 翌日の放課後。
 瑛子には先に帰ってもらい、美咲は圭介の部活が終わるのを待っていた。
「ちょっと杏奈のことで、話があるんだけど……」
「あ、うん」
 圭介の返事もそこそこに、美咲は先にたって歩きだした。

「なぁ、どこ行くんだよ?」
「いいから付き合って。明るいうちに現場を見て欲しいの」
「現場?」
 何のことやら得心のいかないまま、圭介は美咲の後を追った。
 明るいうちに龍神橋まで行っておきたい。出来れば龍神の滝まで行けると尚更いい。
 やや早足で歩きながら、美咲はあの夜の出来ごとを圭介に説明した。
「そんな迷信みたいなことがあるのか?」
 圭介もあの夜に起こったという不可解な現象を、そのまま鵜呑みには出来ないようすだ。
「でも、本当にあったことなの。私と瑛子とふたりで目撃したんだから」
「まるっきり嘘じゃないんだろうけど、ちょっと信じられないよな」
 実際にその場に居合わせたわけではないのだから、信じられないのは当然のことだろう。美咲だって自分で体験していなければ、彼と同じように疑うに決まっている。

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「ただ、その現象と今の杏奈の状態との関連性はよく分からないんだけど……」
「いつも一緒にいるお前たちがいうんだから、まぁ間違いはないんだろうな。ともかく現場を見るしかない、かな」
 中学生が現場を見に行ったところで、何かが分かるわけでも、解決するはずもないことは誰にでも分かることだが、それでも今はそれしか思い浮かぶ方法がなかった。
 二本松を過ぎると、やがて道は少しずつ登りこう配になって林の中へと吸い込まれていく。小川と平行している道は左右から生い茂る樹木で昼間でも薄暗く、湿り気のある空気が身体にまとわりつく。この前は夜だったので気がつかなかったが、昼間は蝉の声が煩いくらいに降ってくる。
 圭介はこの辺りまで来るのがはじめてらしい。橋や滝の存在ももちろん知らない。
 やがて龍神橋が見えてきた。枝葉の生い茂る林のなかに、そこだけぽっかりと穴があいているかのような明るい場所が目指す現場だ。

「へえ、これが龍神橋か」
 山から流れてくる小川にかかる、渡し板のような小さな橋だ。橋を渡ると龍を掘った石碑がある。
 圭介は石碑の前でしゃがみ込んだ。
「この目は、赤い石? ガラスじゃなさそう、だね」
「その赤い目が光ったのよ」
 美咲はあの夜の光景を思いだしながら、瑛子とふたりで目撃した詳細を説明した。
「それじゃ、その『玉』はどこにいったんだろう? ここにはないけど」
 そこまでは美咲も気がつかなかった。いわれてみれば、玉をはめ込む窪みはあるが、肝心の玉がない。あの時、杏奈が玉をはめたはずなのに。
 まわりを探してみても転がってはいなかった。
 玉はどこにいってしまったのだろうか?
「滝はどこにあるの?」
 圭介は辺りを見渡している。すぐ近くにある

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ころまで戻ってきた。
 圭介はそれじゃといって帰って行った。

 翌日から雨が降ったり止んだりの天候が続き、夏休みの話題がのぼりはじめるこの時期は、生徒会役員である美咲もあれやこれやで忙しく、龍神の滝へ行く機会はなかなか訪れなかった。
 美咲は昼休み、職員室での用事を済ませて廊下に出たところで圭介と顔をあわせた。
「あ、そうだ。ちょっといいか?」
 美咲に何か話があるようだ。きっと杏奈のことだろう。
「あのさ、滝、行った?」
「ううん、まだ行ってない」
 美咲としてはあまり行きたい場所ではない。
「ウチのばあちゃんに訊いたんだよ、滝のこと」
「うん、それで?」
 美咲はあれ以来、何か自分で行動を起こすようなことはしていなかった。

ものだと思っているようだ。
「もっと山の方。私も行ったことないから……」
 山といっても小高い丘に近いような、名称もない標高の低い里山にすぎない。足下を流れているのでさえ、河川とは呼べない小川だ。龍神の滝などという大袈裟な名前がついているらしいが、この龍神橋の規模から考えても、滝というにはおこがましいようなものに違いない。
 ここのぼって行けば、その龍神の滝に辿り着くのだろうが、ここから先は獣道といった方がいいような山道だ。それに、そろそろ辺りが薄暗くなってきている。
「もう暗くなってきちゃったから、今日はもう帰ろうか。また明るいうちに行ってみよう」
 圭介は龍神の滝まで行ってみるつもりのようだが、美咲はあまり気が進まない。杏奈のことは心配だが、滝に行ったところで何かが変わるとも思えない。だいいち、あんな獣道みたいなところをのぼって行くのは嫌だ。
 薄暗くなってきた林の道を歩き、二本松のと

「次の土曜日に行ってみようかと思ってるんだけど、一緒に行かないか?」
「滝に?」
「うん。午前中は部活だから午後から。明るいうちに帰ってこれる時間で」
「私も午前中は生徒会の打ち合わせあるし、午後からならちょうどいいかも」
「よし、それじゃ決まり!」
 当日はいちど帰宅して昼食をすませ、午後一時半に二本松で待ち合わせということで話は決まった。
 彼がそこまで杏奈の心配をして、どうにか解決しようとしていることに少なからず嫉妬を覚える。
 杏奈は龍神橋の願いをかけなくても、彼とはうまくいったのではないかと思わないでもない。恥ずかしさはあるだろうが、彼に直接その思いを伝えてさえいれば、このようなことにはならずにすんだのではないだろうか。今となっては、もう結果論でしかないが。

 圭介は杏奈を心配して、滝のことを自分なりに調べていたようだ。
 美咲はそれを聞いて、何もしなかった恥ずかしさとともに、彼の行動力に感心した。
「やっぱり『龍神伝説』ってあるらしいよ。ばあちゃんも同じような話をしてた」
「え、そうなの⁉」
 杏奈のことは美咲と瑛子のふたりで目撃したのだから、迷信だと言い捨ててしまうことは出来ない。
「ばあちゃんも話だけしか知らないって。実際にやったことのある人はいないみたい」
 美咲の祖母は既に亡くなっているため確認ができないが、どうやら圭介や瑛子の話からすると、祖母の世代は知っている話のようだ。ただ、どちらも話を知っているというだけで、実体験したわけではない。迷信通りであるとするなら、人に話してはいけないのだから、それを聞ける可能性は低い。せめて母親くらいの世代であれば、聞き取り調査も容易な気がするのだが。

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