崇(たかし)と由紀の物語 1  |  takahito

崇(たかし)と由紀の物語
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「どっちだと思う?」
 にやっと悪戯っぽい笑みをしながら言うのは行きつけの居酒屋『保原亭』店主の一人娘で店員の保原麻衣だ。崇より一つ年上の二十七歳で同じ市内の中学を卒業。崇の初恋の女性でもあり、中学二年生のときに告白するものの断られるという苦い思い出がある。
 結衣は片手をひらひら振りながら、
「冗談よ」
 と笑った。
「でもさあ、凄いよね」
「……何がです」
「『無職同盟なんて嫌だ、一緒にするな!!
』って思って、たった一日でアルバイト先見つけた崇君の根性よ」
「いや、だって、嫌じゃないですか。何つーか、かっこ悪いし」
 たまったもんじゃないですよ、と日本酒をごくごくと呑む。島村由紀と再会した翌日、崇は求人誌を買おうと立ち寄った駅前デパート跡地近くの小さな書店がアルバイトを募集している

 崇は胸を撫で下ろして、ちらりと子どものようにもくもくとパンを食べる由紀に視線を投げ、塗り過ぎじゃね? 胸やけんだけど、と言おうとして、やめた。どれだけジャムを多くぬろうが、それは個人の自由だし。
 と、こんなことをしている場合ではないことを思い出した。
 とにかく由紀の部屋から早く退散しなければならないし、自分の部屋に帰ってもうひと眠りしたい。
「お、俺、帰るからっ」
「え、もうちょっとゆっくりしていきなよ」
 と引き留める由紀に、崇は、いやいや、いいってっ、と語気を強めて拒否して、慌しく由紀の部屋を後にした。残された由紀は、
「変なの」
 と言ってパンを齧った。

「ふふふ。無職同盟……ねえ。その崇君の同級生の島村由紀さん、面白いかも」
「……麻衣さん、それ、マジで言ってます?」

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さ、駄目かな?」
 と言うので、
「や、やめてくださいよ。麻衣さんにはこれまで通りでお願いします……」
 両手を合わせながら懇願。麻衣は、
「駄目かあ」
 と言って笑った。ほんと頼みますよ、と崇は内心で呟き、ごちそうさま、と言って店を後にした。

 自分の名前を『タタリ』と呼んでからかわれたことは数えきれない。
 ――俺の名前は『タカシ』だ! 全国のタカシさんに謝れ!!
 と言ったところで、はい、そうですか、と聞き入れてはもらえなかったのだが。小学校高学年の頃、崇は母親に、
 ――母さん、何で俺の名前をこの漢字(崇)にしたんだよ。皆から『タタリ』ってからかわれてんだけど。
 と自分の名前(漢字)に文句を言った。これに

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ことを知り、その場で直接交渉(面接)をし、即採用となった(このときばかりは神様の存在を信じ、感謝したものだ)。
今日で一週間。島村由紀とは会っていない(というか、会おうとは思わない)。
 麻衣はにこりとしながら、馬刺しを載せた器を崇の前に置いた(これを器の隅に和えたおろしニンニクと一緒に食べる。もちろん、馬に感謝することは忘れず)。
「ねえ、今度さ、島村さんに会わせてよ」
 麻衣のその一言で、今まさしく馬刺しを一切れ口にした崇は、ぶっ、と噴き出した。
 麻衣は、きゃっ、と小さな悲鳴を上げながら後退。崇は、す、すみません! とパニックに陥るものの、落ち着け馬鹿たれめが、と店主の保原一郎の一言で、どうにか落ち着きを戻し、残りの酒を呑み干した。
 他に客もいるし、今日は帰ろうと席を立ち会計を済ませて店の引き戸に手をかけたとき、麻衣が呼び止めたので振り向くと、
「タタリ君、って呼ぼうかなあと思うんだけど

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対して母親の反応といえば、
 ――あら、そうなの? じゃあ、いっそのこと『タタリ』にしちゃおうか?
 とんでも発言をした。
 崇は親にまでこう言われては誰に言っても同じなんだろうなと絶望して、それ以降、名前のことをからかわれても耐え続けた。
 中学を、卒業して高校に進学(一ヶ月で中退)してやっと『タタリ』地獄から抜け出したと思ったのに。思ったのに……(しょんぼり)。
「……最悪だ」
 自室の押入れから中学の卒業アルバムの三年三組のページを見ながら呟いた。左の女子一覧の端っこの上に、満面の笑みで島村由紀の顔写真があった。ショートカット、二重瞼、顔も痩せている。ということは、体躯も痩せていたのだろう。つまり、十年経ってもそう変わらなかったということだろう。
 一週間前、彼女と偶然に再会して、その口から発せられた『タタリ』という言葉が頭から離れない。

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 また何かの悪戯で島村由紀に出会ったとして、『タタリ』と呼ばれるのは御免だ。まあ、地方とはいえ、二度もばったりと会う確率は高くないと思うし、思いたい。
 アルバムを閉じて押入れに仕舞い、溜息を一つ吐いてベッドに横になった。時間は午後十時前。風呂に入ったことだし、寝ようとしたのだが、
「おいダメ人間、入るから鍵開けろ」
 突然女性の声がして崇は、
 ――またお前かよ――って、足音立てろよ! いや、それもあるけどさ、『ダメ人間』って呼ぶなよ(少し前まで自分で言ってたことを忘れている)。
 冗談抜きで驚いて上体をばっと起こし、内心で毒吐いた。
「うるせえな。今開けっからバンバン叩くなよ」
 頭をがしがし掻きながら部屋のドアの鍵を解錠した。で、そこに立っている女性を目にしてまた溜息を吐いた。

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「何さ、人の顔見て溜息なんて吐いて。失礼しちゃうわね」
 睨みながらそう言ったのは、崇の双子の姉、真奈美だ。
 短髪で弟に負けず劣らずの鋭い眼。黒のTシャツにジーンズという格好。
 ――もう少し女っぽい感じを出せないのかね。ああ、その前にその口の悪さをどうにかしてほしいんだけどな。
 残念だ、と崇は真奈美を見るたびに思うのだが、決して口にすることはない。しようとも思わない。怖いし。
「ほら、どいたどいた。職場の人からお酒貰っちゃってねえ。一杯どう? まだ呑めるでしょ」
 真奈美はそう言って、右手に持っている一升瓶を掲げて見せた。崇は、呑めません、と妹に敬語で即答。眠たいから、と言ってドアを閉じようとして、しかし真奈美の左腕が伸びてそれを阻止。
「いいじゃない。一人で呑んでも美味しくない

しさあ。お酌してくれる相手がいないと、ねえ?」
 と微笑む真奈美に、
「俺は料亭の女将かよ」
 と崇は突っ込み、無理矢理にでもドアを閉めようとするのだが、真奈美も退こうとしない。
「ちょっと、何で閉めんのよ」
「閉めて悪いか! 俺の部屋だし開けようが閉めようが自由だろうが。お前の晩酌につき合う気なんざねえっての」
「はあ? ふざけないでよ!」
「ふざけてねえ!!」
 まるで小学生同士の口喧嘩を繰り広げ、ドアを自分のほうへ引くことを繰り返す二十六歳の社会人二人。
 しかし、それも長くは続かなかった。ぎし、という音とともにドアが外れたのだ。
「えっ、わっ、ちょっと何でこっちに来るのよっ! 来ないでっ!!」
「そ、そんなこと言われてもよっ!!」
 ドアを挟んでけんけんする格好で崇は前進、

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た。
 高速道路の料金が休日千円、高校授業料無償、子ども手当て支給、沖縄の在日米軍基地を県内、または県外、国外に移設することを国民に約束した。したのだが。
 米軍基地移設に関して、日本政府のはっきりしない態度にアメリカはぶち切れ寸前だし、どうしようどうしよう、と民民政権はおろおろ右往左往の大パニック。それをマスコミと野党・保守自由党と革命党は酒盛りしながらヤジを飛ばす酔っぱらいよろしく一斉に猛批判。マスコミの追及に晒され続けた。
 きっと、『トラスト・ミー』なんて言わなきゃよかった、と言った本人は後悔しただろうが後の祭り。
 次に発覚したのが総理大臣が実母から毎月数億円相当の『子ども手当て』をちゃっかり貰っていることが発覚するのだが、それはもう少し先のことである。腰が低い総理大臣の心労は溜まる一方である。
 そんなこんなが続き、総理大臣の顔色は悪く

真奈美は後退。で、数秒後。
「ひぎゃっ」
「うおっ」
 二人同時に悲鳴を上げた。真奈美に至っては女性らしからぬ悲鳴で、それも無理はない。背後の壁とドアと崇の体重が圧し掛かっているのだ。『女性らしい悲鳴』を上げる余裕などなかった。
 その後、騒ぎを聞きつけた両親(主に母)に、いい歳してあなたたちは何やってるの、いつまでも子ども気分でいられたら困るのよ! と正座させられて叱られた。一方、父は床に倒れた一升瓶(幸いにも割れることなく無事だった)を拾って、これは高級品だなあ、と小声で呟いていた。

 この夏、長期間に亘って政権を担っていた保守自由党・革命党連立政権が崩壊し、野党・民民党率いる連立政権が誕生した。
 何だって個性的な人が総理になったよね、と由紀は午後十時前の報道番組を観ながら思っ

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なる一方だ。借金の取り立てに怯える日々を過ごす債務者のような、非常に虚ろな表情をしているのが痛々しい、とぶら下がり会見の映像を観ながら由紀は思った。
「んー、ないわねえ」
 視線を求人誌に向け、もう何度めになるか知れない言葉を口にして、烏龍茶を一口飲む。
 久しぶりに会った同級生、下村崇はふくよかな体躯からほっそりとして背も伸びていた。ちょっと恰好いいかも、なんて思ったりしなくもないのだが。
 今は恋愛よりも職探しを優先しなくてはならない。崇と呑んだとき、『無職同盟』などと馬鹿丸出しな発言を思い出して、由紀は、
「ぬわ――――っ」
 と声を上げて両手で頭を乱暴に掻いた。
「あああん、どうしよう……今月中にバイト先見つけないと生活費も家賃も払えないよ――――っ」
 と絶叫。近所迷惑だろうが構うもんか。さらに頭を掻くスピードを上げていくが、頭皮を傷

傷つけ毛が抜けると気づいてやめ、次のページを捲り、とある求人情報に目を止め、
「……お。おお、こ、これだわ!」
 両手で求人誌を掲げてそう言うと、由紀は自分でも気づかずに笑みを浮かべていた。ふふふ、と。

 翌日、アルバイト先の面接を終えた由紀は高校の同窓会出席。場所は商店街に近い居酒屋だ。数年ぶりに顔を会わせる人もいれば、あんた誰? と言いたくなるほど外見が変わった人もちらほら。
「うわあ、由紀、あんたちっとも変わってないじゃないのさあ」
 そう声をかけてきたのは、高校時代の三年間同じクラスの遠藤未樹だ。高校卒業後は北関東の大学に進学したのは知っているのだが、交流は一切なかったのだが。
「そう? 何かそれって、喜んでいいのか悪いのか微妙ね……」
 由紀はそう言うと複雑な心境でオレンジジュ

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「そうなの」
 あははは、と二人揃って笑う。
「由紀はどうしてんの?」
 一通り笑ったところで未樹が話をふってきた。由紀は笑顔のまま固まり、何と説明していいものかと考える。
「噂でさ、女優目指しているってことは聞いた憶えがあるのよね。ねえ、もしかしてドラマとか出てたりするの?」
 興味津々といった表情で尋ねる未樹。由紀は、一体誰よ、そんなこと吹聴しやがった口軽は! と内心で毒吐いた。
 さて、何と説明すればいのやら。
「あ、えっと、その、ですね……」
 と口にするが噛み噛み。視線はキョロキョロ、手をばたばた。
 ――ど、どうしよう……。
 焦る。
 傍からは自分の行動がネタに見えたかもしれない。
 未樹の訝しげな視線を目の当たりにして嫌な

ースを飲んだ。
「ああ、ところでさ、未樹は何やってんの?」
「ん、公務員やってるよ」
「えっ、公務員?」
 公務員なんて安定した職業に就いちゃってるよ、この人、と由紀は驚いた。
「えっと、学校の先生とか?」
 その問いかけに、
「うん。当たり」
 と、未樹は苦笑しながら肯定した。
 由紀は、こんな不良みたいな人が教職員でいいのかなあ、と心配になったが、面接の結果が気になるし心配だわ、と自分に言い聞かせた。
「へえ、学校の先生かあ」
「そう。母校のね」
「え、そうなの?」
「そうなのよ。一学年なんだけどさ。もう、何ていうか、問題児が多くて」
 そこは昔と変わんないのよねえ、と未樹は苦
笑した。
「えー、そうなんだあ」

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汗が額を伝う。
 万事休す――かと思ったとき、未樹の携帯が鳴った。
 これはチャンスだとばかりに由紀は未樹と離れて居酒屋の外へと向かった。どうせ親しい友人なんていないし、同窓会はまだまだこれからだけど、このままとんずら――もとい、帰ってバラエティ番組観ようかなと歩き出そうとして。
「ちょっと、もう帰っちゃうの?」
 呼び止める声がした。誰かって? 遠藤未樹だ。由紀はぎこちなく振り向いて、
「え、遠藤さん。……電話は?」
 と訊き、未樹は、
「ん、間違い電話。最近多いのよね。ほんと嫌になっちゃう」
 やれやれ、と首を振る。
「へ、へえ……そうなんだ? それは嫌だよねー。うんうん。」
 適当に同情して頷いとくかとばかりに何度も首肯を繰り返す由紀。

 これを少なからず目撃していた他の同窓生はこう思っただろう。
 ――あんたは奈良の鹿か!
 と。
 その後、居酒屋からの脱出に失敗した由紀は未樹の愚痴を約二時間近くも聞かされるはめになり、酒を勧められ、一週間前の崇の前での醜態を思い出して断ったものの、私の命令が聞けないのか、と会社の上司口調で勧められ(強引に)て、涙目になりながら一杯、二杯と呑み、その結果、トイレ通いを繰り返すことになった。まさに、悪夢再来である。由紀はトイレの壁に両手をつきながら、
「未樹のばか――――っ!!」
 と涙と鼻水を流しながら叫び、ドアの鍵を解錠して手を荒ってトイレから出ようとして。
「うぷっ」
 また吐き気が込み上げてきて急いで引き返した。これをこっそり見ていた未樹は、
「呑ませ過ぎちゃったかしら。ま、いいか。呑もうっと」

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