評論集 不易の詩形  |  ohzeki

 

評論集
不易の詩形

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第一部 本質論

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〈自然の真〉と〈文芸上の真〉

     目次
 第一章 緒論
 第二章 「自然の真」と「文芸上の真」
  第一節 自然の真
  第二節 文芸上の真
  第三節 俳句に於ける二つの真の関係
 第三章 みづほ説の検討
  第一節 みづほ君の所謂真
  第二節 素十君の歩める道
  第三節 みづほ君の誤解の原因とその視角
 第四章 結論

 以上がこの論の構成である。秋桜子は「緒論」において「真実」の意味は時代とともに変わって来たものとし、十九世紀から二十世紀初頭に勢力のあった自然主義においては「真実」という意味に用いていたとするのであった。

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 水原秋桜子の「自然の真」と「文芸上の真」は昭和六年の「馬酔木」の十月号に掲載されたものであるが、本論は現代俳句にとって最も重要な論文のひとつであると考えられる。一般的に水原秋桜子はこの原稿をもって高浜虚子の「ホトトギスとの決別を果たしたとされているが、俳句の歴史からみるとそれ以上の重大な意味をになっていたことが分るのである。この原稿は二段組みで十頁ほどのものであるが、内容は次のような目次からなりたっている。

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 我等の信ずる写生は俳句の窮極は一にして二はない。然しながら其の窮極に達せんとして作者等がとるべき態度は大別して二つあるといふことが出来る。その一は自己の心を無にして自然に忠実ならんとする態度、その二は自然を尊びつゝも尚ほ自己の心に愛着をもつ態度である。第二の態度を持して進むものは、先づ自然を忠実に観察する。而して句の表には自然のみを描きつゝ、尚ほ心をその裏に写し出さんとする。勢い調べを大切にするやうになるのである。〈中略〉私は第二の態度をとる作者の一人であった。
         (『葛飾』第一版の序)
 秋桜子は既にその出発から主観という事を深く考えていたことが分る。『葛飾』は昭和五年三月の出版であるから、一年後には固くこの方法に気がついて自己の方法論を確立すべく「『自然の真』と『文芸上の真』」の論文を発表したことになるのである。俳句の上における主観と客観という古くて新しい課題がここに明白に顕在化されたことになる。

 「文芸上の真」とは、後に詳しく説く如く、「自然の真」の上に最も大切なエッキスを加へたものを指すのである。〈中略〉然しながら、その「真実」の持つ意味は、常に「文芸上の真」でなければならぬと僕は思ふのである。時代を逆行して、今頃「自然の美」のみを説いてゐるのは、いかにも教養の足らざるを曝露して、俳壇のために恥辱だと思ふのである。
            (第一章 緒論)

 この部分で秋桜子は客観写生を奉ずる「ホトトギス」一派の態度を「自然の真」のみを説いている人々と呼んで、「俳壇のために恥辱」であると語気を強めて批判しているのである。ここで重要な点は俳句作者の心の態度である。客観と主観の二大分岐点がここでは問題にされているのである。この点は以後の俳句の歴史の上に重大な意味を持つこととなるのである。秋桜子はこの主観と客観という二つの態度の存在を述べたことはこの論が始めてではなかったのである。

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 僕は、「自然の真」といふものは、文芸の上では、まだ掘り出されたまゝのあらがね鉱であると思ふ。此のあらがね鉱が絶体に尊いならつまりそれは自然の模倣が尊いといふことになるのだ。芸術とはそんなものではない。芸術はその上に厳然たる優越性を備へたものでなければならない。
      (第二章・第一節・自然の真)

 秋桜子は「ホトトギス」の客観写生のありかたを「掘り出されたまゝのあらがね鉱を尊ぶ」者達であると観じて「芸術とはそんなものではない」と喝破している。さきの「恥辱」の発言にしろここでの喝破にしろ極めて語気の強い調子が頼もしい限りである。恐らく秋桜子の論文の中ではこれほど激しいマニフェスト(表明)はこの論文を除いてはないのではなかろうか。それだけにこの論文にかける秋桜子のこころいきがしのばれるのである。

 若しも「自然の真」を究めて俳句の能事終れりとするならば、俳人は書斎の勉強を要することなく、心の涵養を大切にすることもない。ただ手帳を懐ろにして雲の影でも追ひ歩いてゐればいゝだらう。(中略)
 之に反して、「文芸上の真」を尊ぶ人達の行手ははるかに広く且つ深いのである。彼等は一つの丘を極めたかと思ふと、その先には常にまたより高い、より展望のすぐれた丘が立ってゐる。次の丘を征服した時は必ず彼の心境が一段と澄み、彼の想像力が一倍加はった時だ。一生を費してなほ終局に達せぬ旅だけれど、彼等の心は常に楽しく、一歩々々は新しき希望を以て踏まれてゆくであらう。
            (第四章 結論)

 この論で秋桜子がわれわれに残してくれた遺産は主観という態度と理想主義という態度である。ともすれば俳句の理論は結果の作品より低い地位にあり、又、作品の良くない作者の理論は馬鹿にされる運命にあった。秋桜子はこうした風潮に釘をさしたばかりではなく、低俗な功利主義や結果主義を批判したのである。正岡子規は古典から近代への境で革新(イノベーション)を行ったが、水原秋桜子は近代から現代に至る場面で革命(リボリューション)の引き金を引いたのである。現代俳句の革命は新興俳句運動から前衛俳句へ向い高柳重信の死によってその終焉を迎えたと私は考えるが、今日の王政復古の時代においても秋桜子のこの論文はなおも光彩を放ちつづけているのである。

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俳句における映像的表現
―――モンタージュを中心に

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 今日俳句と映像の類似がいわれて久しいが、こうした類似と特色に対する考え方はしっかりと根付いてきている。俳句と映像を比較して考える立場は寺田寅彦において明確である。殊に寺田寅彦の「俳諧論」において著しくはっきりと打ち出されている。

 近頃映画芸術の理論で云ふところのモンタージュは矢張取合せの芸術である。二つのものを衝き合せることによって、二つの各々とはちがった全く別な所謂陪音或は結合音ともいふべきものを発生する。此れが映画の要訣であると同時に又俳諧の要訣でなければならない。
 取合せる二つのものの選択の方針が色々ある。それは二つのものを連結する糸が常識的論理的な意識の上層を通過してゐるか、或は古典の中の或る挿話で結ばれて居るか、或は又、潜在意識の暗闇の中でつながって居るかによって

取合せの結果は全く別なものとなる。
 蕉門俳諧の方法の特徴は全く此の潜在的連想の糸によって物を取合せるといふ所にある。幽玄も、余情も、さびも、しをりも、細みも此の絃線の微妙な振動によって発生する音色に外ならないのである。古人が曲輪の内より取合せるか、外よりするかといふことを問題にして居るのは矢張此處の問題に関したものであると思はれる。また附合せに関して、「浅きより深きに入深きより浅きにもとるべし」と云はれて居るのも矢張同じ問題に触れる所があるやうに思はれるのである。「俳諧はその物其事を余りいはずただ傍をつまみあげて其響を以て人の心をさそふ」のである。
(『俳諧論』「俳諧の本質的概論」寺田寅彦)

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 先師(芭蕉)曰、発句は頭よりすらすらといひ下し来るをじやうぼん上品とす、先師しやだう酒堂に教へて曰、発句は汝が如く、二ツ三ツ取集めするものにあらず。こがね金を打ち延べたる如くなるべしと也。先師曰、発句は物を合すれば出来るなり。そのよく其能取合するを上手と云、あしき悪敷を下手と云也。きよりく許六曰、発句はとり合物也。先師曰、これほど是程しよき事のある有を人はしらざるなり不知也。去来曰、とり合せて作する時は、くおほくぎんすみやか句多吟速也。初学の人是を思ふべし。巧者に成るに及んでは、とりあはすとりあはさず取合不取合の談にあらず。
   (『去来抄』「修業教」 向井去来)

 寺田寅彦は映画でいうところのモンタージュの手法は俳句でいうところの取合せであると述べている。つまりは俳句において映像の取合せというものが、俳句の効果に大きな影響を及ぼすというものである。そして取合せの効果は単に組み合わせたものを加えた効果にとどまらず極めて大きな力を発揮するというものである。さてその取合せであるが、お互いの取合せのおのおののものとの関係は、潜在的連想の糸によって結ばれているというのである。映画において、モンタージュの手法は独立したフィルムの断片をつなぎ合せて組み立てるというもので、そこに美と意味を統一して一篇に仕上げる芸術表現の手段ともなるものである。この映画理論を基礎においたものが、ソビエト連邦の映画監督のエイゼンシュタイン等であり、この手法は日本の伝統芸術、特に俳諧から多くの示唆をうけたといわれているものである。

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 芭蕉は黄金を打ち延べたような俳句を理想としていた一方で、取合せも極めて重要視していたことが分る。エイゼンシュタインの映画理論はこの芭蕉の取合せからの影響があったが、現代俳句においては山口誓子の「飛躍法」という論評の中で取り上げられた。更に二物配合の象徴的な手法から現代人の微妙な心象風景までこの手法を用いて詠まれるようになった。

  山里は万歳おそし梅の花 芭蕉

 「山里は万歳おそし」という事実と「梅の花」という事物が照応して更に大きな作品世界を形成している。二物配合の有名な作品である。

 発句の事は行きて帰る心の味なり。たとへば「山里は万歳おそし梅の花」といふたぐい類なり。「山里は万歳おそし」といひはなして、梅は咲けりといふ心のごとくに、行きてかへるの心発句なり。山里は万歳おそしといふばかりのひとへ一重はひらく平句の位なり。先師も「発句はとり合せ物と知るべし」といへるよし、ある俳書にもはべるなり。題の中より出づる事はたまたまなり。もし出でてもおほやう古しとなり。
    (『三冊子』「黒隻子」 服部土芳)

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