NATURE  |  unmn

photo|unmn

1

1

photo|unmn

2010927

2010927

photo|unmn

2

3

2010927

photo|unmn

4

2010925

photo|unmn

建築が仕上がってしまうと写真を撮るのがつまらなくなる、なんて言っていたらいったいなんの仕事をしているのか分からなくなるけれど、実際、出来上がったばかりのピカピカの建物にはあまり魅力を感じない。

最近の建物は工場で作った精度のいい建材や仕上材が表層を覆っていて、そこにはなんら手仕事の味わいというものが見られない。建築主のクレームを少なくしようと思えば思うほど、そういう建物ばかりになる。

キズや汚れを血眼になってあげつらう検査をしていると、職人の技量によって仕上がりがマチマチになってしまうようなフィニッシュよりも、誰がやっても一定の品質が約束された工業製品に頼りたくなってくる。

その結果、現代ニッポンの建築はツルピカのペラペラの味わいのないものになってしまった。そのほとんどは現場ではなく、工場でつくられるようになった。

5

2010925

text|unmn

photo|unmn

photo|unmn

text|unmn

2010925

6

しかし、実際人々の欲しているものがそういうきれいで無味乾燥なものではないことも知っている。雑誌やTVCMや映画に出て来る建築のシーンでは、大概、木にペンキを塗ったような味のある質感が見てとれる。

ファッションコーディネータや、美術さんや、アートディレクターという方々の好みであろうとは思うが、判で押したように手仕事感のある年季の入った部屋が背景になっている。どこか朽ちたような質感がある。

もちろん、カフェや住宅でそういう好みの仕上げをしたものはあるけれど、表層だけエイジングされた紛いものである(美術さんがつくっている舞台装置となにも変わらない)。それもまた薄っぺらいものである。

写真の題材によくなるモチーフにも、朽ちたり、汚れたり、錆びたりしたものが多くある。しかしそれらは年月を経て「本当に古びている」ものにかぎられる。

そんなわけで、新しい現代建築には興味を引くものがまったくない(…まったくないと言ってしまうと語弊があるので「ほとんどない」と言い直そう)。建築家という人々が怠慢であるからなのは言うまでもない。

なにしろ、彼らの建てる建築なるものは悉く世の中の社会の人々の欲求や夢にまっすぐ答えていない代物である。お仕着せがましい「お作品」なんである。世間様からは所詮色物としか思われていないんである。

前川國男や吉村順三や村野藤吾のような、近代建築の巨匠の後継が育たなかった理由もまったく謎である。経済至上主義の世の中でお粗末な建物をつくり続けたことが原因の一つであることは間違いない。

しかし経済的な庶民の技術であっても文化的な価値を高める努力が払われてきてさえいればいい建築を生み出すことは可能であったはずだ。江戸の町のように。

text|unmn

photo|unmn

2010925

7

photo|unmn

2010925

材料の質感と、手仕事の味と、それらが長年生き存えていくことのできる手入れによって命を吹き込まれるような建築を建てなければならないと思うんである。そういう建築家を評価しないといけないんである。

そうして世間を見渡してみると、その正反対の事例はいくらでも目につくんであるが、残念ながらいい建築を建てようという建築主も、それを設計する建築家もまったく(…失礼、ほとんど)いないんである。

公共や大企業がそれなりに巨額の投資をしてきたはずなんであるが、結果として保存価値のあるような建築はまったく(…失礼、ほとんど)ないんである。これはもうほんとうにもったいない話ではないだろうか?

市庁舎や駅舎やその他の公共施設や百貨店やホテルやホールや美術館など、どれも未来に残せるような建築ではないと思ってしまうのは自分だけなのだろうか。

8

text|unmn