愛し、日々  |  terao.tn

 

寺尾紗穂

 
 
 
 
 

寺尾紗穂

 
 

愛し、日々

 
※web上ではヨコ組み表示ですが、
実際の紙の本ではタテ組みになります。
見開きの左右も逆になります。

 
 

 

目 次

目 次

 
 
 

愛し、日々

ベランダ素描/夜汽車の物思い/木の上にて
 一年たって分かること/大須の鳩/素敵な音楽ひとつ
夜汽車の物思い、その後/良成さんの蝉の歌
山谷の夜 山谷の雨 泪橋交差点/三里塚から遠くはなれて
黄金町の空室/カラスと子猫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
挿絵 都守美世

 
 
 
 
 
 
愛の秘密                  214
ニーナ・シモンをおくる           220
土のこと                  224
秋色さん                  230
秋色さん BBS書き込み 全文採録       244
あとがき                  276
初出一覧                  282

 
短詩「愛し、日々」               6
愛し、日々                   9
 
 
 
 
上海滞在記 2000               33
中国旅行記 2002               55
愛し、日々――ウェブサイトから 2005‐2009  88

 
 
 
はじまりはトラバター/蝶の病院
ある絵描きの北京語/神田精養軒ルミネ立川店
三四郎がおしえてくれたこと
 
 
 
 
 ブログはじめます/ニーナと春巻き/七面鳥とカステラ
クマのにおい/先生がわたしたちにのこすもの
 コンピレーション発売/ボルシチを煮込みながら
カンナちゃんのこと/饒舌な身体、鋳態…大駱駝艦
 自転車道と小日本/天高く、猫肥ゆる冬/笑いについて
 木登りの誘惑/野口さんと私/わが友、カンナ
五十年後の味噌汁/かなし季節に/歌とわたし その一
いんげんまめの見つからない午後/歌とわたし その二
中国の小さな山の上で聞いた歌/カンナ成長記

 蝶の病院。というのをやったことがある。
 風の強いある日、不思議な位に蝶たちが、ぱたぱたと地べたに落ちてきたことがあって、幼稚園に入るか入らないかという位の私と友人Hは、公園で彼らを拾っては滑り台下の土管に運んで、「手当て」をした。
 Hは近所のアパートに住む女の子で、私よりも快活でお転婆で、よく「ぎゃはは」と笑う子だった。彼女が家でご飯を食べるときなんかに、「いただきっ!」とふざけて言うのが、子供心に行儀のよいことではないなと思いながらも可笑しくて、そんな彼女といるのが楽しかったのだと思う。何より私は彼女と一緒にメタセコイヤの木に登ったり、公園のトイレの上でキバチをとったり、バナナ虫を集めたりするのが好きだった。
 小学校は別の学区域になって滅多に顔を合わすこともなくなったまま、私は隣町に引越し、そのうちHも別の町へと引越して、それきりになっていた。その彼女から突然連絡があったのは大学に入ってからだった。この間まで入院しててね、と電話口で告げた彼女は心の病にかかっていた。一度遊びに来てね、と言われて、懐かしさと小さな不安と抱えながら再会した彼女は、もともとやせていたのがさらに線が細くなった気がした。学校も病気がひどくなってやめたという。

「最近モデルに応募したら書類選考通ったの」という彼女は確かに昔と変わらず目鼻立ちがはっきりしていて、くしゃっとなる笑顔だって可愛い。「喧嘩っ早くなるときがあってね、これ以上友達は失くしたくないんだけど」と明るく言うHは食事の前に、十錠以上の薬を慣れた手つきで飲み干した。薬の副作用の症状を抑えるための薬を飲むので膨大な量になるのだという。日本はとりわけ精神科で出す薬が多いとどこかで読んだのを思い出す。
 何がどうなってこうなったんだろう、二十年近く時間が過ぎるというのはこういうことだろうか。浦島太郎みたいに、のんきな時間を過ごしていたのは私だけだろうか。幼い思い出はただ眩しくて、残酷に今の虚しさを照らす。
 その後も、電話はたまにあった。真夜中過ぎてとっくに寝たころにかかってきたりもして、出ないこともあったが、たまに話すと入退院を繰り返しているのが分かった。
 風の強かったあの日、私とHは滑り台の下の土管で蝶の病院をやっていた。運んだ蝶たちのために、私は公園を出て家までいそいそと走って戻り、コットンと砂糖水を抱えてこぼさぬようにそっと土管まで運んだ。それをHと二人で、幼い子特有の身勝手さで、蝶のストローみたいな口に浸しては、

蝶の病院

愛し、日々

 
 
 

蝶の病院

愛し、日々

004

蝶の病院

 
 
 

飲んだか飲まぬかよくわからぬままに、コットンのベッドに寝かせた。そして思ったのだ。「これで大丈夫。」
 もちろんのことだが、心の病は砂糖水では治らない。けれど、あの十何錠ものカプセルにも多分彼女は救えない。では何が、誰が彼女を救うのだろう? あの日、彼女と土管にしゃがんで蝶にささやいたように、彼女に「大丈夫」なんて声はかけられない。もし、私がそう声をかけて、彼女が救われるところがあったとしても、そうするには私たちは何だかあまりに長い時間すれ違ってしまった気がする。二十年近くたった今、私にできるのは、彼女と遊んだ公園を思い出しながら時たま手紙を書いてみたり、彼女が好きだといったビリー・ジョエルを弾いて、何とはなしに彼女を思ったりすることだけだ。

ある絵描きの北京語

愛し、日々

 
 
 

ある絵描きの北京語

現場で彼らをまとめる役回りをふられていたという。おそらくは福建あたりの出身の中国人から聞いた中国語をなぜか北京語と思い込んだSさんに、かくして私の中国語はこてんぱんにされた訳だけれども、最後にはそんなことどうでもよくなって、自信満々に、それこそいなかっぺの発音で、建築の専門用語を披露するSさんが、かっこよく見えたりもした。それと同時に「国際化」に乗り遅れるなと声高に英語の重要性が唱えられている日本の底辺に、こんなにも国際的な状況が広がっていることとか、その状況を器用に生きているSさんが英語は話せないこと、英語なんか話せても役に立たないというねじれについても考えたりした。英語は世界への扉、なんて巷ではよく聞くけれども、それは言ってしまえばすでに最初から半分閉ざされた世界への扉。その閉ざされた半分は自分の足で歩いたり、英語以外の言語で世界を見たりして想像するしかないんだろうと思う。
 後日、Sさんと私は南千住のファミレスのドリンク・バーでささやかな「デート」をした。絵が趣味のSさんはアクリル絵の具で描いた鮮やかな自分の絵をテーブルいっぱいに並べて見せてくれた。
 「店の人、何やってんだと思ってるだろな、俺みたいのとあんたみたいな若い姉ちゃんとこんなとこでデートしてて」

 「なんっちゅうかな、お前さんの北京語はそれ、いなかっぺえの発音だな」。大学三年の夏、じりじり日陰のない山谷の公園でそう言われた。あるきっかけで中学のときからラジオの中国語講座を聞き始めて高校、大学と続けて勉強していた私は、顔にこそ出さなかったけどもその瞬間ちょっとむっとしたように思う。でもそれは一瞬。「NHKラジオの中国語ね、あれも発音おかしいの、俺一度電話したよ」。言葉の主は小さくてぎょろっとした目のおっちゃん、Sさん。先輩に誘われてなんとなく来てみた山谷の炊き出しで、通っていた大学の建設現場にいた人だよとたまたま紹介されたのがSさんだった。大学で中国語をやっていると話すと、Sさんは明らかに標準語ではないおそらくは南方の方言をとうとうと発音し始めた。
 「立体交差ってなんていうか知ってるか、何、知らない? おいおい、困るよ立体交差くらい知らなくっちゃ、大学の先生は何を教えてんだい?」
 中国語だけじゃない、とその場であれこれと聞かせてくれた異国の言葉は四つか五つはあったと思う。Sさんはつまりインドネシアとかフィリピンとか中国とかアジアからの出稼ぎ労働者たちと同じ現場を任されていた。休憩時間に彼らにいちいち言葉を習い、いつの間にか意思疎通できるようになったので、

ある絵描きの北京語

 
 
 

愛し、日々

002

 Sさんの照れたようなちょっとぶっきらぼうな口調が、「デート」という言葉の違和感もそっと消してくれた気がして、こちらも思わず、うん、と笑った。
 建設現場での怪我で腰を痛めて、働く術を失ったSさんは、生活保護を受けて安宿にとりあえずの住所をもっているので文字通りのホームレスではない。でも、街角に立って「Big Issue」を売っている、ホームレスの人を見るとSさんの面影を思い出して、道で見かければそのたび買うようになった。本屋に行ってもホームレスについての書籍が並んでいる棚が気になったりする。曲が出来たりもする。「ホームレス・オーケストラ・ぺこぺこ」を見に大阪まで行こうかしらと思ったり。気づけば雑誌を人に読ませたり、会う人に話したり、「寺尾さんホームレス好きなんですね」なんて冗談半分言われるけれども、誰かと出会うってそういうことだろうと思う。「彼ら」が「あなた」になるって、そういう簡単で単純で、でもパワーが満ちてくるような、あたたかな出来事だ。

ノニータ
「パンモロ」

花代
「よなは」

寺尾紗穂
「愛(かな)し、日々」

サマタマサト
「HOW TO SOX.」

川内倫子
「べたりんこ」

五木田智央
「シャッフル鉄道唱歌」

 
 
 

 
 
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岡田利規
「コンセプション」

2月 4月 6月 8月 10月 12月
隔月最終土曜日発売

「天然文庫の100冊」第一弾(8タイトル)
絶賛発売中!

五所純子
「スカトロジー・フルーツ」

 
<著者略歴>
シンガーソングライター、エッセイスト。1981年東京生まれ。
2006年アルバム「愛し、日々」でソロデビュー。07年「御身onmi」でミディよりメジャーデビュー。大林宣彦監督作品「転校生 さよならあなた」の主題歌を担当。08年「風はびゅうびゅう」、09年「愛の秘密」を発表。著書に「評伝 川島芳子ー男装のエトランゼ」(文春新書/08年)がある。大学在学中に結成したバンドThousands Birdies' Legsのヴォーカルとしても活動。オフィシャルサイトhttp://www.tblegs.com/terao/win/home.html

 
 

寺尾紗穂(てらお・さほ)

愛し、日々
  • 著者:寺尾紗穂
  • イラスト:都守美世
  • 編集:北沢夏音
  • 制作:天然編集部
作 成 日:2010 年 02月 19日
発   行:寺尾紗穂
BSBN 1-01-00031680
ブックフォーマット:#560