TWILIGHT  |  iwagaki

夜明け前に

2009年10月19日

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僕は、2009年の3月で仕事を辞めた。
とある会社の広告制作部で僕は約3年間、アートディレクターをしていた。もっと幅広いフィールドを目指して、先を決めずに無鉄砲に辞めた。
人生は思い描いた通りに進まない。時期が悪いのか、僕の実力が足らないのか、僕は未だ安定した仕事を得ていない。8月に2ヶ月間の短期派遣で、グラフィックデザイナーの求人があり、お金に困っていた僕はこれに応募した。仕事を続けるために、契約延長してもらったり、他にも手を尽くしてみたが、その会社の仕事自体が繁忙期を過ぎ少なくなり、僕はまた無職に戻った。
前回のブログを読んで頂いた方に僕はまずお礼を言いたいと思います。
僕が前職でお世話になっていた制作会社のデザイナーのMさん、僕の食料危機の話を読んで、実家で採れた野菜やお米を大量に送ってくださりました。お米はまだ大事に食べているんです。野菜もとても美味しかっ

たです。カメラマンの田中さんやライターのTさん、じっくり読んで頂いていたようでありがとうございました。
前回のブログに載せていた作品などを見て、CDジャケットのデザインのお仕事をくれたNさんとHさん。
また、ゼロからデザインの仕事をつくろうと一緒に考えてくれた友人や読んでくださった皆さん。

29歳になった僕は、夜明けを目指してひたすら歩いていかなければならない。僕はどこに向かっているのか、本当はもう自分でもよく分からない。

これは僕がデザイナーとしてTWILIGHT(夜明け)を迎えるまでのブログである。


4月から8月までの話を読みたい方はこちら↓
http://bccks.jp/#B24295,P226686

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10月20日

僕は時々、何の役にも立たないアイデアが湧き出てくる。アイデアのトマソンである←参考 赤瀬川原平

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技術があれば何でもできる

2ヶ月弱、短期で働いたデザイン会社は、音楽CDジャケットのデザインやPV、舞台の宣伝美術、ポスター・パンフ等がメインだった。
僕はグラフィックデザイナーとして働くのは、ここが初めてだった。大学卒業後、建築設計をし、そこから大幅に路線変更をして、唐突に広告制作のアートディレクターになった。だからグラフィックデザイナーとして働くのはこの年になって初めてになった。
社長いわく、君は潜在的なセンスがあっても技術がまだまだ足らないとよく言われた。文字組みやロゴ制作などは出来るとしても、画像合成の能力が足らないそうだ。この会社はミュージシャンや俳優を扱うことが多く、画像加工や合成は必須スキルになっていた。
そして、君には2ウェイあると社長が言う。
ディレクター職をまた目指して、アイデアを考え指示を出すことを極めていくのか、現場でスキルを身につけて一人で何でも出来るようになるか。君の若さでスキルが抜群でセンスもあったら格好いいぞ、と。
でもさー、その前に職が僕にあるのかねぇ。。。

僕にはちょっと、というか色々な事情があって今は仕事がない。仕事がないなら作れば良いのだ。
僕は下北沢に住んでいて、劇団のポスターを作りたいと思ったので、架空の劇団「劇団 白昼夢」というものを考え、その公演ポスターを第10回まで制作してきた。これは、コラージュという手法を使うという制約を自分に課した。そのことで、この劇団のブランディングが出来たように思う。無職の今、これはまた再開しようと思う。

今度は劇団の他に、CDジャケットのデザインの仕事をしたいと僕は思う。方法としては、劇団白昼夢と同様だ。架空のアーティストを作り、そのCDジャケットのグラフィックデザインをしていこうと思う。これは手法を限定せず、比較的自由に作ろうと思う。

これも技術の錬成のためである。

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10月21日

ないものはつくるしかない

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10月23日

僕はずっと自分は、ことデザインや表現に関して、メインストリームにいると思っていた。しかし、近頃仕事で音楽や演劇のデザインをしてみて、また自主制作ばかりしている中で、自分が作り出すものはサブカルチャーなんだと気がついた。
僕が考えるメインストリームのデザインとは、例えば資生堂の広告とか美しいということを素直にアウトプットしているもので、誰がつくったのかということは分からず、とにかく洗練されているものである。
僕が考えるサブカルチャーとは、そのデザイナーに頼まなければ出てこなかった表現、つまり垢のついたデザインである。
僕はずっと前者の素質があり、だから広告の仕事などはまさにメインストリームだと思っていたから、ずっとしたかったのだが、僕の気持ちに変化が現れたのか、昔より広告のデザインが魅力的に思えなくなったのか、個人の個人による独特な表現にしか興味がなくなってきている。

ジキルとハイド

昨年、リーマンショックというものが起きた。
僕は自分にはあまり関係がないと思っていた。しかしこうして求人の激減や正社員雇用を渋る会社をみてくると、僕は面接のたびに、自分もリーマンショックの影響を受けているという自虐的な大して笑えないユーモアを言わざる得ない。相手も失笑だ。
理屈ではなく、僕のほのかな実感なのだが、もう分業で働く時代は終わる気がしている。例えば、広告をつくる制作チームには、アートディレクター、デザイナー、コピーライター、プランナー、カメラマンなどがいるが、不況になればなるほど、個のスペックをあげ、一人が二役こなす必要が出てくる。そして合理性が求められる。クライアントはディレクター能力があるデザイナーに直接、話した方が時間の短縮になる。
デザイナーが写真も撮れれば、お金が浮く。
合理性を求め、その行く着く先が、表現の質をあげるかどうかはまた別の話だが、これからは運動も出来て頭も良い方がモテそうだ。顔も良ければ尚良しだ。

劇団 白昼夢 第11回公演「小鳥のダンス踊る小鳥」

モテたい

10月24日

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架空のCDジャケットのデザインを考えていて、ふと思った。全てが架空であるならば、レコード会社も作る必要がある。そうか、僕は劇団とレコード会社を主宰することになるなぁこの年で。すごいだろ、へへ。

三つ子の魂百まで、という言葉がある。
僕は思えば小さい頃、「ごっこ遊び」というものがもの凄く好きだった。ごっこ遊びは、子供の僕に非日常を与えてくれた。何かになりきって演じることで、野原が違う世界に感じられた。僕にとっての最初の非日常はやっぱり幼稚園の頃から読んだドラえもんが強烈だったように思う。僕の想像力はドラえもんで鍛えられたと言ってもいいんじゃないかと思う。藤子F不二雄先生は言うておりました。SFはサイエンスフィックションではなく、「少し不思議」という意味だと。

29歳になった僕は、大人のごっこ遊びをしているのである。とんでもない野郎だ。すごいだろ、へへ。

牛のジャケット Atom Heart Mother/Pink Floyd

ごっこ遊び

10月25日