雨の日に鳥は 飛ばない  |  aerial.sky

  ◇古瀬 2

  私の一日は、雨戸を開けることから始まります。私の家はかなり古いので、縁側から雨風を防いでくれるものはガラスサッシではありません。木の板でできた、焦げ茶色の扉。ひとつひとつ、立て付けの悪さを気にしながら、開けていきます。
 一通り開け終えると、私は縁側から空を眺めます。
 眺めるといっても、見上げるわけではありません。私の家は地上と違い、庭に当たるものはありません。縁側から外に一歩踏み出すと、すべて青い空。ところどころにある雲と、遠く下のほうに並ぶ地上の建物。小さな鳥が一羽、目の前を左から右へ通過していきました。
 私はこの景色がとても好きです。空がいつも私を包み込むような気がします。
 一通り眺めた後、私は台所に向かいました。

 

雨の日に鳥は
飛ばない

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機に乗って撮ったような写真。綺麗だな、と声に出さず呟く。
 こうやって、コゼットとメールで写真をやり取りするのはいつから始まったのか、もう忘れてしまった。確か言い出したのは私の方で、どうしてもコゼットの見ている景色が見たくなってしまったのだ。それ以来、メールと一緒に写真をやり取りするのが通例になりつつある。コゼットは空の写真、私は日常の写真。コゼットは地上の写真にご執心で、前に校庭の写真を送ったら大喜びしていたものだ。
 今度はどの写真を送ろうかと思案しながら、徐々に現れた雲の行く先を見つめていた。三本木が作っているこの翼の写真なんかいいかもしれない。コゼットが地上に来たがっている様に、空を飛びたがっている三本木のような人間もいるのだ、と。

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雨の日に鳥は
飛ばない

 

 朝食をとったあと、私はメールをチェックします。
 いつも、ニーチェさんからのメールを楽しみにしています。最近では、普通に生活しながら無意識にメールの文面を考えている自分が居ます。
 画面に、新着のメールが表示されます。ニーチェさんからです。送信時刻を見るに、昨日の夜のようでした。
 メールの文面には、悩みに関する話題が並んでいました。ニーチェさんの悩みは、「最近調子が出ないこと」とのことです。そしてニーチェさん自身はその理由がよく分からない、と。
 ニーチェさんがこのように愚痴の様なものをメールに綴られた事が今まで無かったので、私は少し新鮮な気持ちになりました。相談に乗ってあげたい気持ちは山々なのですが、ニーチェさんはあまり悩みを具体的にしたくは無いようです。公言する様な内容ではないのかもしれませんし、もしかしたらニーチェさん自身が悩み相談の経験が少ないのかもしれません。かく言う私もあまり思い悩むことは無いので、ニーチェさんに相談する内容が無いので

すが。
 メールはその後に、ニーチェさんが添付した写真とその説明が書いてありました。
 写真には大きくて茶色の翼の造形品が写っています。部屋の中心にでんと座っている大きな物体。美術品のようにも思われましたが、鳥のように羽ばたいて空を飛ぶらしいというニーチェさんの説明を聞くと、なにやら木でできたプラモデルのようにも見えます。
 せっかくですので写真フォルダにこれを保存し、このメールに対する返信を書き始めました。

 しばらく文面に悩みつつ、ニーチェさんへの返信を終えます。次に、写真のフォルダを開きました。沢山の写真が画面に広がります。ニーチェさんから送られてきた、日常の写真。舞い落ちる桜、細い道路、光が差し込む教室。どれも、私にとっては憧れです。
 いつか、私も地上に住んでみたい。ニーチェさんの見ている世界を、私も見てみたい。そう思いながら、私は飽き

 

  ●三本木 2

 そのまま窓の外を見るともなしに見ていたら、首元に突然ひやりと冷たい物が当たり、私は飛び上がりそうになった。反射的にそれを掴み振り返ると、三本木が微笑んで立っていた。自分の左手を見るとアイスの袋。どうやら私の首に、三本木がそれを押し当ててきたらしい。
「アイス、食べる?」
 私は数秒の驚きから立ち直り、三本木を軽く睨んだ。
「……吃驚した」
「なにやら真剣に外を見てた様だから、ちょっと悪戯したくなってね。なにか珍しいものでも飛んでいた?」
「ううん、特に何も」
 首を振ってそう答えたら、三本木は笑いながら自分のアイスを開封する。いつの間に買って来たのだろうか。なにせ部屋を出る物音すらしなかったのだ。私はそれほど思索にふけっていたのだろうか。

ることなくそれらの写真を見ていました。

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雨の日に鳥は
飛ばない

 異様に冷たいアイスを口にしながら三本木の行動を観察する。三本木は口にアイスをくわえながら翼の制作を続けていた。ドライバーを持ち、螺子で歯車を留めていく。そこにまた木の棒を付け、それらを組み合わせてカム機構を作り上げていく。その目は真剣そのもので、とても変な事を考えている人間には見えない。
 何故かは分からないがこの姿の三本木を見ていると、格好いいな、と思う。私は余り、異性の容姿を一言で切り捨ててしまうのは好きではないが、こうやって一人で何かに奮闘している姿を見ていると、格好いいという言葉が一番合う様な気がした。ただ単に私の語彙力の問題かもしれないが。
 見つめていると思われたら癪なので、また空を見る。
「雲が出てきた」
「それは困るな。雨が降らなければいいけれど」
 三本木は翼いじりを続けながら話す。
「そういえばニーチェ、『雨降り猫』の話を聞いたことはある?」

 

雨の日に鳥は
飛ばない

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「アメフリネコ? 何、それ」
「この辺りに伝わる伝承の一つ、まあ伝説みたいなものなんだけれどね。その猫は、空を飛び雲から雲を渡り歩いて雨を降らせる力を持った精霊みたいな存在らしい。雨っていうのは農家にとって重要だから、雨降猫を呼び込むために神社まで立てられたらしい。まあ気紛れな神様、といったところかな」
「それ、何処までが本当の話なの?」
 訝しげに聞くと、三本木は惚けるように笑う。
「さあ、知らないけど。でも、雨と猫の関連性は昔から言われていることだよ。猫が額を洗うと雨っていうのは有名だし、英語にもそれが残っている。『raining cats and dogs』って知ってる?」
「……どういう意味だっけ」
「英語の慣用句で『土砂降りの雨』という意味だね。北欧神話において、猫は大雨を降らせ、犬は強風を起こすという言い伝えがある。一般的なイディオムだけれど、それを聞くと今話した雨降り猫の話と共通点を感じない?」

 

 ●仁井 3

 やがて、三本木が立ち上がる。工具などをダンボールに入れて片付け始めた。
「そろそろ帰ろうかな、こいつも大体出来てきたし」
 確かに、時計を見るとかなり時間が経っていた。私も携帯から顔を上げ、椅子から立ち上がった。
 二人で外に出ると、弱い風が辺りを流れていた。空にも少し雲が出てきている。校庭にはまだ部活動をやっている生徒が見られる。確か明日から一週間、中間テストの準備期間に入るので、部活動は今日が最後ということになるから、今日は遅くまで居残る生徒が多いのだろう。
「じゃあ、また」
 そういって離れていく三本木に私は声をかけられなかった。一緒に帰ろうなんて言える筈もない。暫くして、私も歩き出した。私は、あの冷たい家へ。三本木は確か、近くの寮に居ると言っていた。アパートのような一人部屋で居心

「……三本木と話していると、どんな話も本当に聞こえてくる」
 どうも今日ははぐらかされているというか誤魔化されているというか。私は息を吐いた。

 まあコゼットの話を聞いていると、そんな猫の妖精の物語も有り得そうな気はしないでもない。どうも最近、この手の架空の話に慣れ始めている自分がいる。もしかして私は、憧れているのだろうか。そうかもしれない。誰でもそういう気持ちは多かれ少なかれ持っているだろう。空に住むコゼットの様に、空を飛びたい三本木の様に。でも私は、それらを見ている事しかしていない。参加もしなければ、目標も持たない。
 ……こんな私に、願いは叶うのだろうか?

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雨の日に鳥は
飛ばない

活変化についての知識が少ない頃だったので、ダメージは小さかったのだろう。そんなこんなで、私はあくまで静かに目立たずをモットーにしてここで生活している。
 周りの環境に変化に乗せられるままでいた私は、この高校に入るまで、自分から行動することをしなかった。そのモットーが変わり始めたのは三本木を見てからだと、私は自分を客観的に分析している。私がネガティブになっているのは、信条のぶれのようなものがあるのかもしれない。
 顔を横に向け、無音のまま何の変化もない部屋を見渡し、私は静かにしていた。
 変化といえば、もう一つあった。私は起き上がり、机に寄って鎮座しているパソコンのスイッチを押す。まだ新しいそのノートパソコンは静かな風音を立てて起動する。早速、メールソフトを起動する。
 また、愚痴になってしまうかもしれない。そう思いながら、私はふわふわした椅子に座りメールの文面を打ち込むことにした。

 

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飛ばない

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地がいいらしい。
 部室で二人で過ごすことには慣れ始めたが、相変わらず想いを口に出すのは躊躇われる。私自身に臆病者の名札を付けてやりたい気分だ。
 それとも何時か、言うことがあるだろうか。
 三本木への想いを、この口で。

 家に着き、自分の部屋のベッドに寝転ぶ。
 周りは、静かだ。珍しく、何の音もしない。
 私の家は、学校からほんの少し離れた住宅街にある。何の変哲もない家。父から貰っている多額のお金による、借りた住まい。この家はもう何番目か忘れてしまった。今回の引越しは高校入学と同時だった。
 母との二人暮らしも、慣れてくると余り苦痛には感じない。強いて言えば幾度となく行われる引越しが少しつらかっただけで、それほどでもなかった。恐らく、両親の離婚がもう少し遅かったら私もその影響をもろに受けていたのかもしれないけれど、まだ離婚の持つ本当の事実や生

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DATE:4/10 FROM:Nii1212 TO:Koze.T

コゼット、なにか悩みはある?
特に何があったというわけではないのだけれど、最近あまり調子が出ないのが、今の私の悩み。なにやらナーバスになっているみたい。
体の調子も悪くないし、中間テストが憂鬱っていうわけでもないのに。確かに二週間後に迫ってはいるのだけれど。友達に疎外されているという事もなければ、気に食わない出来事があったわけでもないし。
まあ、何も原因が無いかというと嘘なのだけれど。

とりあえず、今日は模型の写真です。私の同級生が作っている、翼の模型。私もまだ動くところは見たことが無いけれど、作っている同級生によるとまるで鳥が飛ぶように羽ばたくらしいの。飛行するのを夢見るのは悪く無いから、私は応援しています。もしこれが完成したら、私も借

 

雨の日に鳥は
飛ばない

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りてみたいな、と思う。そうしたら、私からコゼットに会いに行けるから。
なんてロマンチックなことを書いてみたけれど、これもすべて、私の空への憧れ。コゼットは地上が見たくて、私は空が見たい。こういうのを、無いものねだりと言うのかも。

空の写真、楽しみにしてる。

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 打ち終わり、文面を見返す。コゼット、という単語に心の中で微笑む。
 コゼットというのは、私がメール先の女の子に付けたニックネームだ。古瀬《こぜ》だから、コゼット。単純極まりないが、メールの文面から感じる雰囲気から、そんなお淑やかそうな名前が似合うだろうと思って送ったら、古瀬もその喜びをメールで送ってきた。それ以来、古瀬はコゼットで、私はニーチェと言う渾名で、メールを送りあって

  ◇古瀬 3

 かたりと、縁側で音がしました。
 珍しいことです。いくら古いわたしの家とはいえ、縁側において音を鳴らす原因に心当たりはありません。私は立ち上がり、音のした方向に向かいました。
 縁側を覗いた瞬間、一瞬息が止まりました。
 そこには、すらりとした背格好の方が居りました。
 縁側の外、広がる青空の方に体を向け、縁に座っています。私と目が合うと、そちらも身を硬くしたようでした。
 こちらを見つめる「彼」の目に、私は吸い寄せられそうな印象を受けました。外の景色と双璧をなすほどの綺麗な水色をしています。精悍とした顔つきと共に、何と無く聡明な印象を受けました。
 おそるおそる、声をかけてみます。
「……どちらから、いらしたのですか」
 声は聞こえたようでしたが、返事はありません。突然現

 

雨の日に鳥は
飛ばない

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いる。
 メールの送信ボタンを押し、送信が完了されたのを確認すると、私は一階に降りるためにパソコンの電源を落とした。