我々の恋愛  |  Violet

いとうせいこう

我々の恋愛

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200931

我々の恋愛 1

 ただいま過分な御紹介にあずかりました、デュラジア大学人間科学研究所・佐治真澄でございます。
 むしろジョルダーノ先生の長年にわたる御研究こそが我々恋愛学者の導きの星であり、この盛大なうちに幕を閉じようとしております『20世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』の締めくくりにふさわしいと考えます。けれども、最高賞を受賞した国の代表が最終報告を担当するという、かねてからの取り決めでございます。どうか御静聴ください。
 さて、涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない、とは御存知のごとく大文豪ゲーテの言葉であります。

デュラジア大学人間科学研究所・佐治真澄です。こんにちわ。

へーそうなんだ〜超すごーい!パチパチパチ〜!

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 であるならば、皆さん、先に挙げた格言を我々はこう言い換えてよいのではないでしょうか? 恋愛とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない、と。
……拍手、おそれいります。事実我々は、会期初日の7月12日夜、山梨県民文化ホール内で行われましたレセプションパーティの席上、トルコ芸術音楽大学名誉教授・ユルマズ博士から、会議の名前自体を『20世紀を振り返る十五カ国会議』と短く変えてしかるべきではないか、との御意見もいただいたのです。
 それでは若干ぼんやりとした会議にならないかと危惧を示した我々に対して、ユルマズ博士が悠揚迫らず答えられたお言葉は大変印象的でありました。

 恋愛を振り返ることは、そのまま世界を振り返ることだ。
 ユルマズ博士はそうおっしゃったのです。
会議の名こそ変わりませんでしたが、博士、まさしく我々は7日間をかけて、20世紀を総括したのであります。20世紀の歴史を、人間を、言葉を、仕草を、そして何より性そのものを。
 博士にどうぞ大きな拍手を……博士、お座り下さい。博士。
 それでは、お配りしたレジュメにしたがって、きわめて簡潔に、今回『20世紀の恋愛を振り返る十五カ国会議』において、最高賞を獲得した日本の恋愛事例をおさらいしたいと思います。
 まず、一人の男がおりました。
          

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おさらい?いやーん。

200934

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旅の用意

我々の恋愛 2

 『ヤマナシ・レポート』
           カシム・ユルマズ 
          (トルコ芸術音楽大学)
           2001年7月15日付け
      「イスタンブール読書新聞」より

 人生は旅である、と私は言いたくない。言ったところで何になるわけでもない常套句の、これこそ筆頭に挙げられるだろう。
 人生に旅券は必要ない。旅行鞄がなぞらえられるような対象は、特に人生には見当たらない。人生に終わりは絶対あるが、旅が必ず終わるとは限らない。
 人生は人生である。旅はただ旅である。だからこそ、両者は互いを豊かにするのだ。

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アタイ、ニホンニイクワヨ〜!

 私は今、日本に来ている。訪れるのはこれで二度目だ。
一度目は、第二次世界大戦の終戦から六年ほど経ってのことであった。私は大学院に籍を置きながら、神戸で二年間、父の仕事を手伝った。私はわずか二十才に過ぎなかった。自分の詩はまだ数えるほどしかなかった。
 思えば、当時の私は何も見ていなかった。何も聴いていなかった。日本は日本でなく、ただの異国だった。憧れは個別性の外にあった。
 今、ヤマナシという日本列島の中央部近くにいて、私は世界十五カ国の学者・有識者と論議を重ねている。前世紀を最もよく象徴する恋愛とはどのようなものであるかについて話し合いながら、我々はあたかもその恋に直接触れるかのように

物語の輪郭をなぞり、恋を舌の上にのせて吟味し、血管の中に流し込んで共に生きている。
イギリスの作家、アーロン・エメットが採集してきた“自分が蟻であると思い込んでいる男と、自分が枯れた樹木だと思い込んでいる女の恋愛”は我々を驚愕させた。
 サウジアラビアの財閥系研究機関で人間の行動パターンを数量分析しているハレド・オハイフは、“別れても別れても必ず三日以内に偶然出会ってしまう二人の奇跡の六十年間”という詳細なレポートを実験映像付きで提出し、パリ第8大学きっての無神論者(そう、エミールのことだ!)にも神の存在を再考させた。
 このように充実した時間を過ごしながら、私はひとつの確かな考えに支配される時の、あの希有

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アタイったら、枯れた樹木だと思うの。

な満足感を得つつある。
 人生が旅だとは言えない。
 だが、人生は恋愛のようだとは言える。
 どちらも時に熱狂的で、現実とはうらはらで、二度と訪れないチャンスの糸で縫い合わされているのだ。
 再びの日本滞在で、私はそれを知った。
もう遅い、とあなたは言うだろうか?
 たった一人しかいないあなたは。
 私の読者よ。

人生は旅なの?恋愛なの?どっち?

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2009311

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おはこんばんちわー。

我々の恋愛 3-1   『BLIND』

まず、一人の男がいた。
 男は不思議な夕焼けの夢を見た、と言っている。
 行ったこともない南の島の、長く白い砂浜に男は素足で立っていた。
 濃いオレンジに溶けた太陽はすでに左手の岬を覆う黒い山の向こうに沈みきっており、残光だけが薄く残る山頂付近以外、空は藍色に染まっていた。
 やがて、夜の始まりを告げるかのように、背後からコーランがエコーたっぷりに鳴り響いた。そこがイスラム教圏内であることを、男は知っていたと思った。
 次の瞬間、立ちくらみのように視界が狭まった。