The Letter  |  recommuni

まだまだ尋ねてみたいことはあるのですが、きっと終わりもなくこのやり取りは続いてゆきそうです。すでに〆切がきてしまっているので(笑)、質問はこれで終わりにします。

でも、麓君、このつづきはどこかできっと。あるいは次にあなたが放つ歌のなかに、また探したいと思います。

ゆーきゃん

ゆーきゃんさん

お返事ありがとうございます。 たくさんの言葉が溢れて来て嬉しいです。ゆーきゃんさんからは逃げれないですね(笑)



ご指摘の通り、「コロニー」は震災とその後に続く原発事故とは全くの無関係ではありません。作品が、その側面だけから強調されるのは避けたかったので発売前に あまり言及はしませんでした。実際、ある種のプロテスト・ソングとして構えて聴いたら、この作品は肩すかしだと思います。しかし冒頭曲 「End of May」(この曲は数年前から演奏されていた曲です)とアルバム・タイトルに「コロニー」(植民地、個体群、隔離施設 etc.)という言葉を冠したのは、アルバムに通底するテーマというより、この作品に不穏な空気を残したかったからなんです。振り返ってみれば、過去の作品のタイトルも「They don’t speak japanese」「炎上する、それ」「あるいはその夏は」など通底テーマというよりは、その時代の空気から影響を受けていると思います。

あまりに巨大なシステムや邪悪なもの(これは村上春樹さんの言葉だと思うのですが)。その存在、不穏な気配をこれまでもずっと感じていました。だからこそ村上さんや、巨大なシステムや邪悪なものに抗う作品にも強く魅かれていたのだと思います。そして東日本大震災、そしてその後に続く福島原発事故によって、その存在を以前よりもはっきりと実感するようになりました。その存在は予想を遥かに超えるほど巨大で根深いものでした。当たり前だと思っていたデモクラシー(民主主義)さえこの国にはないのだと思いました。被災地、新エネルギーの勉強会、反原発デモ集会、政治集会などにも行ってみました。関連本を読み漁りました。twitterや動画の情報も出来る限りチェックしました。こんなに興味を持って調べたのは10代以来です。知れば知るほど強い怒りを感じていきました。

あからさまな怒りの曲も幾つか書きました。でも、その曲たちは少し時が経つと急激に色褪せてしまいました。エナジーを喚起することができなかった。自分のソングライティング能力が足りなかったのでしょうか。たくさんの怒りの先に待っていたのは、虚無と無力感でした。いつものウンザリな奴らです。

映画でボブ・ディランがフィル・オークスの姿勢を批判するシーンがありますよね。でも彼のように本物の詩を書けない人はどうしたらいいんでしょう? この震災の後に陥った葛藤はこれに近かったんではないでしょうか。僕自身はプロテストソングを否定はしません。むしろ好きなんです。これだけ理不尽なことが起こっていたら怒らない方がおかしい。ただ、何か遠くのもの、大きなものへの怒りをぶつけるだけだとしたら、野次だけ言ってるのは簡単なんですよね。僕は怒りの熱の中で次第に違和感を覚えるようになりました。あれこれ悩みました。誰が正解でも間違いでもなく、それぞれが自分の方法を見つけなきゃいけなかったのだと思います。たくさん悩んで考えてよかったと思っています。

音楽を現実的な手段と同じ物差しで測ってしまうのが、そもそもの間違いなんですよね。歌や音楽はやっぱり魔法なんです。

巨大なシステムを非難するのと同時に、普段は派遣社員で事務員をして、言わば大きな組織の下っ端で働いているわけです。これまでもたくさんの仕事をしてきて、それなりに様々な組織を見て来ると、この社会は理屈だけでなくて、たくさんの人々の絶妙なバランスでどうにか成り立っているということがわかってくるわけです。善意や正義だけでもなく、もちろん悪だけでもないですが、様々な方向から来る力で、まるで運動会の大玉転がしのように回って進んでる。今回、周囲の人々が原発の問題に関心を持たなかったり、怒りを覚えないことにも腹が立っていました。でも、その人たちが決してダメな人ってわけではなくて、彼らは職場では一生懸命に仕事して、家庭や生活を支えるのでギリギリだったりするのですよね。仕事が出来て経済的にも自立していて優秀な人たちなんです。社会的にダメ人間は明らかに僕ですもん(笑)

でもなぜ、そんな人々の意識が外に向かないのか。それは日本のポップミュージックには社会的な要素が少ないと言われてることと似ているのかもしれません。10代の頃から海の向こうの闘争が羨ましかった。日本人は怒り方を知らないし、闘い方を知らないと思ってた。今回気付かされたのは闘っている人は隠され、消されているということ。なぜここに反抗が根付かないか、プロテストソングを歌えないのか、デモが根付かないのかを辿って考えてみれば、政治的な問題の先の日本人の性質や空気の問題へとも繋がっていました。小さい頃から見てきた学校の教育現場や公共の場での振る舞い、テレビでの空気。僕らは時間を掛けて政治に関心を持たないように、言ってみれば思考停止になるように育てられ、そうして骨抜きにされたと言っても構わないと思います。もちろん今もそれは続いています。

もの凄いスピードと膨大な情報の海の中で次第に無感覚になっていく暮らし。その中でも本能的に持っている感覚や若さ、魂みたいなものが、かつて僕に「バリケード」を歌わせたのだと思います。僕らはもっと根源的な本能や直感を信ずるべきなのかもしれません。今回の「FIGHTSONG(山荘と水着)」でわけもわからず「FIGHT」と叫んでいます。きっと渦の中で垣間見えるシステムから遠く離れた一瞬の景色を求めているです。

今回の作品のほとんどの曲は震災前に書かれ、録音されたので、社会的な要素の強度の違いは、次の作品に出てくるのではないかと思っています。

イメージが変化したことはいくつもあります。僕のスケールが小さいので笑う人がいるかもしれないですけど、偉大なバンドたちが至った道のりにとても似ているんです。レディオヘッドやくるりも巨大な敵を前にした後に、徐々にその視界はより身近なものへとシフトしてきましたよね。最初から狭い範囲を見ているのではなくて、恐竜と闘った後で、小さな円に戻ってくる。その過程が大事なんではないでしょうか。身の回りにある愛すべきものたち。普段の生活。

ゆーきゃんさんが「ちいさいもの、弱いもの、役立たず、くだらなさ、取り返しのつかない過去―そういったものたちに、同情するわけでも、自己の救いを見出すのでもなく、ある種の美しさを見出すという姿勢」と言ってくれたことがとても嬉しかったです。

過去にはルサンチマンから来る弱者への憐憫的なまなざしがなかったわけではありません。僕自身、家がクリスチャンでキリスト教的な道徳で形成されているので、その傾向は強いのだと思います。(ところで「道徳は復讐である」という本は今回の制作に大きな影響を与えています。直接的な影響が出ているわけではないのですが、自分から自然と出てきた倫理を考え直すきっかけになりました。それまではそんなこと考えもしなかったのですから。だからと言ってキリスト教的価値観を切り捨てることは僕はしないでしょう。とにかくこの本は恐ろしく、ショッキングすらありました。)

今回はこれまでの小さきものへのまなざしが、より大きな希望へと変わっていったと言えるのかもしれません。小さな自治。大きなシステムに無理に合わせようと するのは危険なことです。音楽の世界を見ているだけでも、そのやり方で、たくさんの人がダメになっていく例を見てきました。その悪しき現象は様々な場所で も起こっていたんです。少しずつ素敵な円を広げて行く方がずっといいんだって実感したんです。それはとても根気がいる作業ですけど、「育てていくこと」、 いつからか忘れたその感覚を取り戻したいなって。育てないと絶えてしまうもの。これまで僕も幾つもの何かを見殺しにしてきたんです。
 
愛すべきもの。僕にとってそれは凧揚げの風景やぶらりと入る喫茶店、ベッドルームの寂しさ(「ロンリネス凧」)10代の日々、うれし恥ずかしの ミックステープ作り(「Do you remember?」)、大好きなバンドを見に街に出掛ける少女たちの光景(「ガールズ」) そんなものたちだったのです。

でもこうした視点は意図的にしたものじゃなくて、自然に向かっていったものでした。半分スタジオ半分宅録は最初から決めていたことだったんです。混ぜて統一感がないようにしたかったんです。でも自宅録音も少なからず、さっきのことと関係があるのかもしれません。10代からやってきたことだから、すごく落ち着くんです。実家に帰ったら履くジャージみたい(笑)

最後に美しさについて言えば、実は今回は「美しさ」も求めていなかったんです。「美しいものを作ろう」とは思わなかった。目指していたのは、どちらかと言えば「ちぐはぐさ」でした。桜木崇桐さんが撮った素晴らしいブックレットの写真を見てもらえると伝えやすいのですが、例えば最終曲「たたえよたたえよ」に添えられた紙の絡まった写真。あの写真はある時の僕の心情ととてもよく似ています。

でも、これらの歌も今の僕には少し昔のように思えます。次はどこへ向かっているのか僕もわかりません。ただぼんやりと新しい音が頭の中に広がっています。

 
 
 
随分と長くなりました。こんな話をどこかの喫茶店でずっとしてたいです。閉店の音楽が流れるまで。

作成日:2009 年 03 月 13 日

  • 著者:recommuni
  • 編集:recommuni
  • 文:ゆーきゃん
  • 協力:とうめいロボ
発行:recommuni

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