迷探偵がゆく  |  AoyamaKazuki

 

青山 一樹

迷探偵がゆく

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text | 青山 一樹

 玄関の扉をあけると、真夏の茹だるような熱気と蝉時雨が襲いかかってきた。エアコンの効いた部屋に戻りたくなる気持ちをぐっと抑え自転車にまたがる。サドルやハンドルはすでに火傷しそうなほど熱くなっている。
 強烈な日射しはハンドルを握る腕をジリジリと焼き、Tシャツをすり抜けて背中まで日焼けしそうだ。きっと裕子だったらシミができちゃうとか何とかいうだろうな、と思いつつペダルを漕ぐ。
 フレームの鮮やかなメタリックブルーのグラデーションが陽射しに輝く。そんじょそこらの自転車とはわけが違うのだ。
 乗ったことはなくても、名前を言えば誰でも知っているヨーロッパの高級自動車メーカーが作っている自転車で、同じようなデザインの国産自転車とはゼロの桁が一つ違う。今年の春、高校の入学祝いとバイトで稼いだ金を足して

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買った自慢の愛車だ。
 今やすっかり本牧のランドマーク的な存在となった複合型巨大ショッッピングセンターの駐輪場に愛車を停める。大切な愛車が盗まれないように、駐輪場の街灯の柱にチェーンをかけてロックする。
 この辺りの商業施設は、ちょうど自分が生まれたころに米軍の跡地を再開発してできた新しいものらしいが、もの心がついたときには既にそこに(、、、)存在していたという意味では、それが三渓園であろうが富士山であろうが同じだ。歴史の新旧は関係ない。
 冷房の効いた店内に入ると、一直線にエスカレーターを目指す。目的のフロアで降りるころには汗を吸ったTシャツが冷やされて、ぺたぺたと肌にくっつくのが気持ちいいやら悪いやら。
「よ、ジュリー」
 ゲームソフトの売り場にいる裕子の兄、

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や、お笑いタレントと同じ名前でないだけ幸運だと思うことにしている。
「はい、これ」
 カウンターの上にだされた新作のゲームソフトを見て、安堵と興奮が同時にわき上がる。すかさず俺は、ポケットからくしゃくしゃになった五千円札をとりだす。
 五月の連休明けに予約を入れてから三ヶ月近く、待ちに待ったシリーズ三作目のRPGソフトだ。当初の発売予定は夏休み直前だったが、発売前になってソフトに不具合が見つかったらしく、結局は二週間発売が延期された。
 夏休み中にこのゲームを攻略するべく、綿密な計画を立てていた日本中の学生たちは肩すかしを食らった。いや、何も学生だけとは限らない。社会人のなかにも以外とゲーマーは多いのだ。
「平成の語り部」といわれる大物女性作家も、一年のうち三百六十日はコントローラーを握っているというとてつもないゲーマーらしい。RPGのゲームをそのまま小説にしたようなもの

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榊原公隆が屈託のない笑顔で迎えてくれた。
 俺は子供のころから、ある年代以上の人には必ずといっていいほどこのニックネームで呼ばれる。あまり好みではないのだけれど、「澤田研司」という名前が往年の大スターを連想させるらしい。まったく関係のない俺には迷惑な話だ。
 ——字は違うんだけどな。
 背中にパラシュートもしょっていなければ、帽子をかぶってバーボンのボトルを持っているわけでもない。いうまでもないが、指先の出た手袋をした婆さんに毎日拝まれるのは うちのアホな親父が、自分が若い頃に憧れていた芸能人の名前をつけたがり、生まれてくる子が女の子なら「アヤコ」、男の子なら「ケンジ」と決めていたそうだ。
 ファーストネームだけならごく普通の呼び名であるけど、どちらもファミリーネームの澤田姓がつくと、どうしても有名芸能人の顔が浮かんでしまうのはいかんともし難い。
 それでも、世間を震撼させたような犯罪者

 いくらお嬢さま育ちだからといって、キスしたくらいで幼気な高校生に責任取れとか言われても、彼女を養うだけの経済力は今の俺にはない。
「そうじゃないんだ。ちょっと相談したいことがあってね」
 ——どうも違うらしい。
 安心したところで、脇の下から汗がどっと噴きでる。
 裕子とは歳が十歳ほど離れているせいか、公隆さんは妹をまるで我が子のように可愛がっている。目に入れても痛くない、という例えがわかるような気もする。
 先月だったか、ちょっとした事件があった。
 公隆さんが何か探し物をして裕子の部屋に入ったところ、彼女は着替えの真っ最中だったそうだ。下着姿の妹にヘアブラシを投げつけられて、すぐさま追い出されたらしい。
 公隆さんは「それから二、三日は口をきいてくれなくて困ったよ」とブラシをぶつけられたおでこを摩っていた。いくら溺愛している妹で

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まで書いていて、それがかなりの部数売れているらしいのだが、小説に興味のない俺にはどうでもいいことだ。
「ちょっと時間あるか?」
 商品とおつりを引ったくるようにして帰ろうとした俺に、何か周りを伺うような視線を奔らせながら公隆さんがいった。
 ——一秒でも早くうちに帰りたいのに。
 将来は義理のお兄さんになるかもしれない人だから、心証を悪くしないようにしなければいけない。
「何か?」
「いや、ちょっとここでは……。周りの目、いや耳があるからな」
 思わせぶりな公隆さんの言葉に、「げ、キスしたのがバレたか?」と瞬間的に思ったが、平静を装うことに神経を集中させた。 
 ——まさかうちの妹を傷物にしたとか、責任取れとか言わないよな?
「裕子、のことですか?」
 背筋に冷たいものが伝う。

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も、痛いものはやはり痛いらしい。
 ——おでこにタンコブくらいで済むなら、俺が替わってあげたのに。
「昼休みに一階で待っていてくれないか?」
 ハンバーガー二つにバニラシェイク、それにポテトのLサイズという条件を目の前に突きつけられてしまっては、気持ちよく尻尾を振るしかないだろう。
 けっして食べ物に釣られたわけではない。義理の兄になろうかという人の頼みをきかないでは男が廃るというものだ。『義を見てせざるは勇無きなり』という、先人の言葉もあるではないか。出典は論語だったか? 上杉謙信の言葉じゃないよな?
 難しいことはさておき、公隆さんの昼休みになるまで、あと一時間半をどうするかが問題だ。外の熱射地獄には行きたくないので、エアコンの効いた店内でもプラプラしながら時間を潰すしかないだろう。
 今履いているスニーカーの靴底がそろそろ限界に近いので、とりあえずは新作のスニーカー

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でも物色しようと、俺はスポーツ用品のフロアに行ってみることにした。
 エスカレーターを降りると自転車売り場が目に入ったが、我が愛車に勝るものはないので横目で見ながら素通りする。
 色とりどりのジャージやサッカーボールの脇を抜けてスニーカーの棚へ近づいて行くと、そこに見知った顔があった。
 いつも不健康そうな青白い顔をしている、同じクラスの柴崎拓雄だ。俺はあまり話したことはないが、どうも噂によると家でパソコンばかりいじっているらしい。だから拓雄を文字って付いた名前が「柴崎オタク」。
 まあ順当な命名だろう。
「よう」
 スニーカーの棚の前でぼんやりと佇んでいるオタク君に声をかけてみた。どう見ても、彼の容貌とスポーツ用品売り場というのはミスマッチだ。
「あ……」
 俺の顔を見たオタク君はそういったきり、瞬

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間冷凍されたみたいに動かない。
 他にリアクションのしようがないのかよと思いつつ、「何だ、スニーカー買いにきたのか?」と、俺は言葉を続けた。
 こいつ息してんのか? と思えるほど、オタク君は銅像のように固まったまま返事もしない。それでも微かに黒目が動いているので、辛うじて生体反応はあるようだ。
「い、いや別に……」
 たっぷり十秒は待っただろうか、やっと彼が口を開いた。
「ふうん」
 返事に時間がかかり過ぎるので、彼のことはもうどうでもよくなった。
 俺はスニーカーの並んだ棚に視線を奔らせる。ざっと眺めたところ新作ものが幾つかあったので手にとってみるが、どれも俺の趣味には合わない。
「あれ、まだいたの?」
 さっきから一ミリも動いていないのではないかと思える姿勢で、オタク君は同じ場所にじっ

としていたが、視線だけは棚の方を向いている。
 何か気持ち悪いぞこいつ、と思いながらも彼の視線の先を追ってみた。
「おっ、いいじゃん」
 そこには、我が愛車と同じようなメタリックブルーのグラデーションになったスニーカーがあった。手に取ってみると、これがなかなかのデザインで購入意識をくすぐられる。サイズもぴったりだ。
「あ……」
 数秒おくれて、オタク君が何か言おうと口を開けた。
「何かいった? あ、これ買うの?」
「い、いや、そういう訳じゃ……」
 何だか歯切れの悪い返事だ。
「買わないの? そう。じゃ俺が買うわ」
 何か言いたげな彼を置き去りにして、俺はさっさとレジに向かった。
 レジには顔見知りのおばさんがいた。ちょうどうちの親父たちと同じくらいの年代だ。あら

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ジュリーちゃんじゃない、とお決まりの挨拶に迎えられる。こちらも、どうもとお馴染みの返事を返す。
 支払いを済ませて振り返ると、彼はまだ棚の前でぼんやりと突っ立っていた。
「気持ち悪りぃな、あいつ。だからオタクって呼ばれるんだよ」
 つい口に出てしまった。レジのおばさんが不思議そうな顔で俺を見つめている。
「あ、何でもないです。独り言ですから……」
 ——何で俺が言い訳しなきゃならないんだよ、まったく。
 おばさんに愛想笑いして、もう一度振り返ると銅像は消えていた。
 早速トイレの個室に駆け込み、新品のスニーカーに履き替えた。よく見てみると、今まで履いていたものは限界に近いどころか踵に穴が空いていたのでゴミ箱に捨てた。
 思いがけずスッキリとした足もとに気分を良くした俺は、その後も本屋で雑誌の立ち読みをしたり、家電売り場でプラズマテレビを観て時

間を潰した。ちょうど観たかった映画のDVDが映っていたので、すっかりそこで腰を落ち着けて大画面の迫力に見入っていると、約束の時間になってしまった。これを観終わるまで、あと一時間は欲しいところだ。
 後ろ髪をひかれるような思いを残しながら俺はエスカレーターに飛び乗り、バニラシェイクの待つ一階へと急降下する。
 DVDはまた観れるが、シェイクは今しかないのだ——。
 待ち合わせた一階のファーストフード店に入ると、もう公隆さんは席についていた。テーブルに置かれたトレーには、俺の分のポテトやシェイクも乗っていた。
 夏休みに入ったばかりということもあるのか、店内は小学生くらいの子供を連れた母親の姿が目につく。
「すみません。待ちました?」
 何しろ義理の兄になるかもしれない人だし、目上の人を待たせてしまったことにひと言謝っておく。減点要因は、できるだけ排除しておく

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「また何かありましたらお寄りください」と、いつもの営業スマイル。
 きっと得意客なのだろうという察しはつくが、あの歳でハンバーガーは脂っこいんじゃないのか、と勝手な心配までしてしまう。
「お孫さんのゲームなんかを、よく買いにきてくれるんだよ。でもあの歳だからゲームなんかチンプンカンプンだし、似たようなタイトルが多いだろ。たまに間違えて買ってしまうんだな。それに最近は少し老人ボケが入っているみたいで、同じものをまた買いにきたりもするんだ。こっちは商売だから数多く売れた方がいいんだけど、それもちょっとな」
「へえ」と、無難な相槌をうつ。
「先週もさ、ちょうど俺が休みの日にメモリーカード買っていったんだよ。それで帰ってみたら、型の違うやつで使えなかったんだ。早速交換しにきたんだけど、パッケージ開けちゃってるだろう。それでレジにいた新人君とひと揉めあって、結局その日は帰ったんだけど、翌朝一番で俺のところにきて、何とか交換してくれっ

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に限る。
「いいんだよ、気にするな。お、新品の靴か?」
 屈託のない笑顔で公隆さんが訊く。
「はい。さっき上で買ったばかりです」
「ご自慢の自転車と同じ色だな」
 流石にわかっていらっしゃる、お兄さま。俺はへへへと、照れ笑いを返す。
「で、お話っていうのは……?」
 裕子のことではないのは確認済みだから気楽に聞ける。
「まあ、先に食べちゃおうか」
 チーズバーガーを頬張る公隆さんに倣って、俺もポテトを口に放り込む。
 思わぬところでご馳走にありつけたが、タダより高いものはない。あまり浮かれているとロクなことがない、と自分に言い聞かせながらシェイクを啜る。
「ああ、田村さん。お昼ですか?」
 公隆さんは椅子から立ち上がると、買い物袋を提げた小柄なお婆さんに会釈する。

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