祖父の持ち物とそれにまつわる話  |  bxxks

my grandfather’s belongings and the story about them

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祖父の持ち物とそれにまつわる話

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野副直行 のぞえなおゆき

1920年、長崎県大村市、代々軍人の旧家に生まれる。父親が陸軍大佐として情報員として中国に居留のため、幼少を中国の天津ですごす。1937年、大東亜戦争勃発。1941年、陸軍士官学校卒業。43年に、中隊長として、小スンダ列島に出征。45年、福栄やすこと結婚。同年終戦。軍が解体され、生活のために商売を始める。軽井沢で骨董店を経営し、その後銀製品や陶器のデザイン、などを行う輸入業、卸売の事業を一身で興すが、ヤミ金融に引っ掛かる。

債務返済し会社解散。1954年陸上自衛隊入隊。米国留学。教官職、幕僚職、指揮官職などの職務を経て、75年退官。その後三晃化学株式会社入社し、営業総括本部長として勤める。心臓病で倒れるが一命をとりとめ、画業をはじめる。1991年、三軌展入選し、後に会友となる。日本や外国の山々、戦時中の思いを投影した作品を多く描く。現在87歳。

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撮影場所:杉並区阿佐ヶ谷南3丁目 野服直行邸 撮影日時:2007年8月

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へんなものが多いから気になっていたんだ。
祖父の家にあるもの、かたっぱしから話をきいてみることにした。
ひとは、物にどんどん滲みだしていく。
祖父の人生87年の間に、残ったもののリストのほんの一部です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長崎の大村に昔からあった銀食器の一式。お正月になると、花のかたちのスプーンを、黒豆をすくうのによく使う。蘭の模様が彫られている。祖父の父親が、中国に居留していた時期に特別に作らせたもの。

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【銀食器】

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額縁に入った、陸軍関連の襟のしるしなど。応接間のガラス棚に、戦術書一式と共に立てかけてある。
「これは、襟につけた。
 2つ星は中尉。3つが、こう、ついてると、大尉。少佐は1つ。しかし、ここの、こういう帯の金線がある。これが2本あるから、少佐。将官は、こんなだ。べったり幅のひろい金がついてる。1つ星が、少将、2つが中将、3つが、大将です。」

【襟のしるし】

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[認識票]

「これ(中央の金属製の札)は、何かというと、「認識表」というものです。『日本将校野副直行』、これは、自分の肌着につけた。これは、襟に。これはからだにつけてた。戦争のとき、敵の砲弾にあたって、死ぬでしょう。全身ぼろぼろになって、誰が死んだかわかんないでしょう。これだけのこる訳です。そうすると、「野副少尉、戦死」と、いうことがわかるから。遺骨として収集できる。そのための物です。誰だったか、ということが死んでもわかるように、ちゃんとつけておく。ただこれをつけても何にもならないのはね、海没した人だ。陸で亡くなった人は骨が残るんですね。しかし、海の中に軍艦もろとも沈んだ人は、骨までとけちゃうんですよ。のこらないんです。何にものこらない。」

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【恩賜の銀時計】

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天皇陛下にもらった銀時計。
軍関係の各学校や、帝国大学卒業生の中で優秀な生徒に贈られるものでしたが、戦後廃止された。
「二つもらった。一つめは予科士官学校を、2321名の中で一番で卒業したので、もらいました。昭和13年、11月20日18歳のとき。2つめは、本科卒業の昭和15年にいただきました。しかし、このときはたいへんで、一番になったからには、しっかりやらないかんと思って、体調崩しても休まず訓練に挑んだ。結局肺結核になって、入院です。同室の人は次から次と死んでいきました。わたしもこれは死ぬのだな、と思いましたが、なんとか持ち直して、学校にもどり、一年あとの学年に入り直した。医務室から通うような状態でした。わたしはもうここで死んでもかまわんと思って、

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とにかく必死に、訓練についていきました。銀時計をいただいたという、恥ずかしいことしちゃいかん、という気持ちもあった。
 しかし、一方で、こいつは治っていないから退校にするという話があったようです。わたしの母は、しかし、そうなったら、わたしが自決すると考えていることを見抜いており、どうせ死ぬのなら、退校させないで学校で死なしてくれと、調整してまわった。あとで日記をみて知りました。その末の銀時計だから、これはわたしがもらったんじゃないと、母に渡しました。毎朝、きょうも死なないでいれますようにと祈りつつも、このときは、もう死んでもかまわんという思いで生きてた。だから、これで一生は十分じゃないかと思ってる。

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