Nowhere Now Here  |  tomofumi

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Nowhere Now Here

クラスター爆弾の子供たち

Nowhere Now Here

Nowhere
Now Here

どこへも逃げる場所はない。
だから故郷に残った。

どこにも帰る故郷はない。
だからこの場所にいる。

 戦争はまだ終わっていない-。
 2006年夏のレバノン紛争でイスラエルはヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派組織)制圧のためレバノン南部に激しい空爆を加えた。
 戦闘によってレバノン南部には約100万発のクラスター爆弾が残留。瓦礫や土中に埋もれ地雷化した爆弾は、停戦後もそこに生きる人たちを苦しめ続ける。
 「どこへも逃げる場所はない。だから故郷に残った」

シクナ・メルヒさん(12歳)は2006年8月16日、アイタ・アル・シャーブ村で空爆で破壊された村の中を親戚と歩いているとき、瓦礫に挟まれていたM42型クラスター爆弾(アメリカ製)が爆発。腹部(肺、肝臓)、左手を負傷した。破片摘出に5回手術したがまだ体内に残っている                             

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シニオラ首相(イスラム教スンニ派、親アメリカ)に退陣を求めるヒズボラ(南部を基盤とするシーア派、親イラン・シリア)主導の反政府集会はレバノン国旗で埋められた。市民から「シニオラは空爆を容認した」との批判が出ていた=ベイルート、首相府前広場

ハッサン・ハマディくん(12歳)は2006年8月27日、デルカヌーン・ラス・アル・エイ村の自宅に避難先から戻ったとき、庭に落ちていたM42型クラスター爆弾(アメリカ製)に触り爆発。右肩から腕全体、腹部を負傷、右手指4本を失う。服の袖をのばし手を隠したうえ、腕組みの姿勢を崩すことは               なかった

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最大の激戦地ビント・ジュベイル村は
激しい空爆によって壊滅した

この日レバノン全土の空は黒煙に包まれた。反政府集会側が呼びかけたゼネストによって、若者はタイヤを燃やし強制的に道路を封鎖。翌日、首都ベイルートでは抗争に発展し、死傷者が多数出た      
                 =ティール市

フセイン・ムハイドリィくん(9歳)は2006年9月21日、カファー・ローマン村の自宅近くで遊んでいたとき、MK118型クラスター爆弾(アメリカ製)に触れてしまい爆発。眼球(左)、顔、肩を負傷

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鉄条網と装甲車に囲まれた
反政府集会側からも、政府
側が打ち上げた2007年の
新年を祝う花火が見える
=ベイルート、殉教者広場

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アハマド・マキくんは200
6年12月25日、カーカー
ヤット・アル・ジェゼル村
で友人と山間の農地を歩
いているときM77型クラ
スター爆弾(アメリカ製)
を引っ掛け爆発、右足を
骨折、開腹手術を受ける

アハマド・マキくん(12歳)
の足は消毒液のオレンジ
色の跡が生々しい

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窓ガラスを貫通した、イスラエル兵の放った弾の跡。この家のドアは蹴破られ、コーランは自動小銃の銃弾で切り刻まれていた=ブリーダ村

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マルワヒーン村のマリアム・アブダラさんは夫、娘を含む家族9人を空爆で失った