インド 回想  |  ren.smaragdo

日本語のタイトル

 
 
 

漣 祐貴

 
 

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 朝から感情が波立って、揺れ動いて落ち着かない。
 胸が締め付けられるように苦しくて、堪えきれない感情が出口を求めて、嗚咽と涙が零れ落ちそうになる。
 原因はそう、朝のテレビで流れた光景と偶然耳にした音楽。
 忘れもしない大いなる火葬場、マハーシュマハーナ。
 追い立てられるように、幼い日に焼き付いた光景をさがして、漸くたどり着くことの出来た彼の地、インド・バラナシ。
 そして、駅構内で小さく流れていたBGM『Asian Sea』


 これはもう、十年以上も前の話。


 

 
 現代日本人には拒絶反応しか起こさないであろうガンジス川は、病気で死んだ人間牛家畜汚物、生活の処理しきれなくなった不用物、ありとあらゆるモノが漂う。そんな中ヒンドゥ教徒は顔を洗い口を濯ぎ沐浴をする。
 シヴァ神の頭頂部から流れ出たといわれるガンガーはヒンドゥ教徒にとっては聖地である。ガンガーは天に辿り着くとの考えから、多くの人がバラナシのガート(火葬場)で死を待ち、金のある者はガートで焼かれ、ない者はそのままガンガーに流される。

 そんな些細な情報も実際に、目の前で行われた死者を火葬する一連の流れを目の当たりにして、事前に仕入れた薄っぺらな知識などまるで吹っ飛んでしまった。布に包まれ粗末な竹で組んだ担架で親族に担がれ、うずたかく積まれた薪のうえに置かれ焼かれていく光景。人間一人薪で焼くのに約一時間半。それだけの薪を維持するのには大金が必要。よって金のない者は道ばたにうち捨てられ、剥ぎ取れるものだけ剥ぎ取られ、僅かな慈悲の如くガンガーに捨てられる。
 そうした光景が何をもたらしたか、大学の親善使節団の一人として学生全体を統括する立場に居たにも関わらず、夜明け前伝言も残さずホテルを後にして、ガートに出た。
 水際に立ち多くの人々が祈る川面を見つめ、前日に買い求めたサリーを身にまとい、私は祈りのうたが流れるなか彼らに交じるために、早朝のガンガーに身を浸した。
 祖母の遺骨を流すため、ただその冥福を魂の安寧を祈るため。

 
 
 
 
 

 
 よく言えば常識人、悪く言えば融通の利かない四角四面な両親より、放浪癖のある父方の祖母に懐いて育った。
 その祖母が、ヒッピー達がロンリープラネットのガイドブック片手に渡り歩いていた同時期に、インドを旅行していた。
 ドルが固定相場の時期だったと聞いている。

 写真を広げて示したインドの各地。
 その頃も、当然発展途上の未開の地、不潔で病気の多い野蛮な国、とばかり思っていた地に、何故祖母が単身訪れたのかは、今でも解らない。
 黄土色の大地に褐色の肌をした人々が、物欲しげな視線を投げかける。牛と人間とが密集する地に、あばら屋にしか見えなかった建物。
 子供でも知っている、きれいなタージマハルは写真の中には見あたらず。
 そんな幼心には決して好印象を与えない写真の山を見て、さすがに祖母の心情を疑ったものだったが……。

 一枚だけ、川の畔で群れをなして祈る人々の写真に目が留まった。それまでの世俗的なスナップ写真とは違い、たくさんの人々が一心不乱に祈り、川面には汚物が浮かんでいる様子を写したその一枚を食い入るように見つめていた。
 そんな孫に祖母が呟いたコトバは、今も尚鮮やかに耳に残っている。

 
 おそらく父は危惧していたのだと思う。色濃く祖母の血を引く我が子に、放浪癖が刷りこまれていくことを。べったりだった祖母から引き離され、規律の厳しい小学校に放り込まれた頃、再び祖母は外国に行っていた。形見のつもりはなかったのだろうが、名前を記した封筒を、二人の内緒の隠し場所にこっそり置いて出て行った。

 嫌なこと辛いことがあると蒲団を被って、残った写真を眺めて育った孫は、長じて、すっかり祖母と同じ傾向を身につけていた。

 それから十数年好き放題、息子達から非難を浴びながらも高齢をモノともせず、世界各国を渡り歩き続け、最期は大勢の孫たちに囲まれて、やすらかに畳の上での大往生を遂げた。

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 祖母が晩年独りで棲んだ家の押し入れを開けると、下段にまるまる、孫達の名前が書かれた段ボール箱が置いてあった。
 それぞれに手渡して最期に自分の箱を見ると、そこには手紙と思い出の形見の品々、そして何故かCDが一枚収まっていた。
 他のものはまだ解る。けれど残された手紙を読んでも尚CDだけが、祖母とはどうしても結びつかず、一人で動けなくなった晩年世話をした父の姉に話を訊くと、インドの写真を眺めながら、アルバム二曲目『Asian Sea』だけをエンドレスで流していたという。理由はとうとう最期まで話さなかったそうだ。

   でもね、それ聴いていると、
   なんとなく解る気がするよ。

 叔母はそう言って、CDを懐かしんでいた。

 
 
 
 
 
 

 


 あの写真がインドのどこなのか。


 長い間の謎が氷解したのは、しぶしぶ放り込まれた大学で出遭った恩師が、祖母と同時期バックパッカーをしていたおかげで、ヒンドゥ教徒の聖地バラナシと判明した。

   猥雑だしマイナスのパワーに溢れているが、
   好い街なんだ。
   が、今はとにかく時期が悪い。
 
 当時宗教問題で国全体が暴動を繰り返していた、インド各地。

   渡航許可はそれほど簡単には下りないだろう。

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 ようやく3年後。恩師の力と方々の尽力を得て、後輩を引き連れ大学からの親善使節の一員として渡ったインドの印象は、祖母が抱いた当時とはたぶん変わらない筈だ。
 ムンバイ、アグラ、ジャイプールとインド各地の観光名所を巡り、たどり着いた聖地バラナシ。大いなる火葬場の別名が象徴するように、そこで見かけたあまりにも簡単に人が焼かれていく様人がうち捨てられる様人間も動物も全て同様の末路を辿るのを見て、耳に残る祖母と同じコトバを呟いてみる。

   死ぬならこんなところが好い。

 思えば父は、インドに行くと告げてから苦虫を噛み潰した顔しか、していなかったコトを思い出した。
 自分自身は受け継がなかった祖母の奔放な血脈が、引き離しても尚我が子に受け継がれようとは。そう思ったのだろう。
 沐浴をしながら、頭の中は空港での心配げな母の顔と不承不承の父の顔を思い出していた。淀んだガンガーの流れは意外な感傷を引き起こす。祖母孝行な孫だが、親不孝な子供だ。

 朝も早いのに大勢の人が祈っている。それぞれが自分の中のありとあらゆるマイナスな感情を水に流すかのように、シヴァ神に許しを請うように、祈っている。

 生きることは苦しみなのだと。
 悩み傷つき苦しみながらも、生きていかねばならないのならば、祈ることで少しでも安らぎを得たいのだと、多くの人々の祈りのパワーがバラナシには満ちあふれている。

 首からぶら下げた小瓶の蓋をとり、川面に流す。祖母からの手紙に書かれていた通り、遺骨をガンガーに流した。最期まで墓には入りたくない、と、だだをこねた祖母の密かな願いは漸く叶えられた。

 赤道付近とはいえ十二月の早朝の水温はかなり低く、それでも十五分程、川に身を浸していた。肌にぴったり張り付いた一枚布が冷気を次々と呼び込むようで、芯から冷えが躰全体に広がっていく。
 畔から日本語が聞こえた気がして振り返ると、恩師が怖い顔をして立っていた。仁王立ちの醸す雰囲気に負け、人込みを掻き分け畔に辿り着くと、同室の後輩がタオルを渡してくれた。

  先輩が一番ずっこい。

 そう、ふてくされた顔をして言う。ふと目が醒めたら隣のベットがもぬけの殻で冷え切っていた所為で、恩師を不安に駆られて叩き起こしたそうだ。

 
 
 
 
 
 

 とりあえず全身の水気だけを拭って顔をあげると、恩師と目が合った。

  気が済んだか?

 顔と声色だけ怒った調子でそう言う瞳に、全てを見通している暖かさが滲んでいるのを見て、自然に頭が下がり言葉が零れていた。

  勝手しました、ごめんなさい。

  いいさ、ちゃんとこっちに還ってきたんだ。
  風邪ひく前に戻ろうや。

 そう言い放ちすたこら踵を返す恩師の後ろ姿を見つめて、素直に後輩を伴い後に続いた。

 ガートの階段を登りきって振り返ると、更に大勢の人が朝日に照らされ祈っている。もう一度ここに、身を置きに来よう。あの中に混じり、今度は自分のために祈ろう。

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 かの地を訪れて既に十年以上が過ぎる。

 けれども、やはり居場所はこの国じゃない、かの地に生きている。そんな朧な感覚が、胸を締め付ける。


   『FRAGRANCE』
   ウォン・ウィンツァン
   ~Asian Sea~
   http://www.satowa-music.com/cd/cd-frag.html
     ↑ このサイトで試聴可能です

 
 
 
 
 
 

インド
回想
作成日:2008 年 07 月 24 日

  • 著者:漣 祐貴
発行:漣 祐貴

©ren.smaragdo 2011 Printed in Japan

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