鍵花 摘籠  |  oriya

鍵花
摘籠

photo:KitAy

 
 
 
 
 

1.忘寂の空(boujyaku no sora)

2008716

花のなまえ(目次)

鍵花
摘籠

photo | luckyjimmy

                       photo | luckyjimmy

text | oriya

 
 
 

忘れたくても 忘れられない
覚えていたいことは 覚えていられない
僕らは嵐の中
翻弄される船のごとくに
世界の波の上
不安定に浮かんでいるのだ


時に月は目前にあり
時に空は手中にあり
しかし その次の瞬間
奈落へと落ちている


空を舞う ひとひらの心
きりもみしながら
一体
落ちているのか 浮かんでいるのか
誰にもわからないまま
時はすぎゆく

忘寂の空

 
 
 
 
 

text | oriya

photo | milenamihaylova

鍵花
摘籠

忘寂の空

「雲が切れたら、きっと見えるよ。」
「そう、きっとね。」
 僕らはまるで幼い子供のようにどきどきした。寮の一番高い塔の、がらんと開いた大きな窓から、僕らは空をよく見るための道具は何も持たなかったけれど、ただ、夜空が澄み明けるのを待っていた。
 塔の中は石畳で、夜ともなると、とても冷えたが、僕らはこっそりとあらかじめ、毛布を塔の掃除道具入れの中に隠していて、その毛布でぴっちりと体を包んだ。あまりに長い時間座っているので、時々立ち上がってみたい気になるが、夜中ここにいる事を、人に知られてはならないので、なるべく静かにしていなくてはならなかった。
 なぜなら、僕らは、禁を犯しているからだ。


 寮というものは、普通、窮屈な決まり事で、きっちりと秩序が保たれるものである。特に僕らがいる寮は規則が厳しく、消灯はかっきり9時だったし、その時間以降にベットを抜け出すなんて事はとんでもなかった。
 規則を破れば、有無を言わさず寮を出ていかなければならない。誰かが寮を出る時は決まって黒い生き物が庭にしばらく放たれて、出ていった者がもう二度とここに戻ることのないように、黒い生き物の不気味な鳴き声が終日響く。まるでここを出ていくことを呪うように。
 ここらはとても霧が深くて、昼間でさえ電灯無しでは字も読めないし、外に出れば一寸先は白い地獄だった。1人であてもなく歩いていけば、切り立った崖から落ちたり、底の見えない井戸に落ちてしまったりして、無事に戻れないことも多かった。
 しかし、僕らは空が見たかった。


「本当の空を見ることは、君らには良くないことだ。空は、君らを連れて行こうとするよ。空は、遠くの世界のことを思い出させてしまうから。空は危険だよ。それでも君は空を見たいというのかね?まだ空を見たいなんて言うのなら、君にはここを出ていってもらわないといけないが・・いいのかね?」
「嫌です!」
 先生の言葉に、僕はそう答えたが、心の中では何か煮えきらないものを感じていた。
 しかし、ここを出るというような恐ろしい事はごめんなので、何とか自分を納得させようと、
「空を見たい」
という思いを懸命に飲み込んだ。
 僕が空を見たいと言ってから数ヶ月が経ち、新学期がはじまったある日、先生は僕を呼びだして
「ついてくるように」
と言った。普段は行かない「新校舎」へ、寒い灯りの渡り廊下を通っていくと、先生はすっきりと立ってこちらを見、そしてにっこりと笑った。
 先生が一見何もない白い壁に手を伸ばして触ると、その下から二つの色の違うボタンが現れ、上の方を押すと壁が音もなくずれて開き、中は小さな部屋になっていた。
「ああ、僕知っています。これは、えーと・・・。」
「思い出さなくていいよ。君は、程良く忘れているようだね。いい事だ。これはね、『ボックス』というんだ。そうだろう。」
「はい。」
 僕はそれ以上の事を考えなかった。
 先生にうながされて、その『ボックス』に入る。開いていた壁がみる間にしまって、奇怪な感覚が僕を襲い、しばらくして、乾いた「チン」という音がした。
「さぁ着いたよ。君は驚くだろうね」
「なんですか?」
 目の前の壁がまた、すっと開いた。そして、僕は息をのんだ。そこには、空があった。
 丸くドームになった天井は、真っ青な青空だった。
「ああ、すごい。」
「喜んでもらえたかな?ここはね、空を見たいという人のために造られたドームだよ。君は、あの時から、懸命に自分を押さえていたね。それによって少し負担が増えたようだ。ここは、君のような人のために特別に造られている。人はね、忘れようとしても、求めてしまう『物』があるんだ。君にとって、それが『空』だったというわけだ。心が求めている『物』を無理に押さえつけるのは、時として、人の能力を低下させる。人の『忘れる』という能力もしかりだ。君もそうだった。しかし、これからはここに自由に来るといい。」
「ありがとうございます。とても嬉しいです。」
「でもね、これだけは守ってくれ。人に公言しない事だ。空を求めぬ者にはここの景色は毒になる。いいね?それが出来ない場合には君には思い罰が下るよ。」
 先生の目は、恐ろしく、鈍い光をつくって僕を貫いたので、僕はぞくりとして、あわてて首を振った。
「はい。わかっています。絶対に言いません。」
「よろしい。君は、優秀な生徒だ。僕は期待しているよ。」
 先生はそういって、僕の肩をぐっと押して、『ボックス』から出した。
「教室に戻る時は、さっき先生がしたようにすればいい。」
 そう言い終わると、また音もなく壁がしまって、先生は見えなくなった。

text | oriya

鍵花
摘籠

 しかし、僕らは空が見たかった。


「本当の空を見ることは、君らには良くないことだ。空は、君らを連れて行こうとするよ。空は、遠くの世界のことを思い出させてしまうから。空は危険だよ。それでも君は空を見たいというのかね?まだ空を見たいなんて言うのなら、君にはここを出ていってもらわないといけないが・・いいのかね?」
「嫌です!」
 先生の言葉に、僕はそう答えたが、心の中では何か煮えきらないものを感じていた。
 しかし、ここを出るというような恐ろしい事はごめんなので、何とか自分を納得させようと、
「空を見たい」
という思いを懸命に飲み込んだ。
 僕が空を見たいと言ってから数ヶ月が経ち、新学期がはじまったある日、先生は僕を呼びだして
「ついてくるように」
と言った。普段は行かない「新校舎」へ、寒い灯りの渡り廊下を通っていくと、先生はすっきりと立ってこちらを見、そしてにっこりと笑った。
 先生が一見何もない白い壁に手を伸ばして触ると、その下から二つの色の違うボタンが現れ、上の方を押すと壁が音もなくずれて開き、中は小さな部屋になっていた。
「ああ、僕知っています。これは、えーと・・・。」
「思い出さなくていいよ。君は、程良く忘れているようだね。いい事だ。これはね、『ボックス』というんだ。そうだろう。」
「はい。」
 僕はそれ以上の事を考えなかった。
 先生にうながされて、その『ボックス』に入る。開いていた壁がみる間にしまって、奇怪な感覚が僕を襲い、しばらくして、乾いた「チン」という音がした。
「さぁ着いたよ。君は驚くだろうね」
「なんですか?」
 目の前の壁がまた、すっと開いた。そして、僕は息をのんだ。そこには、空があった。
 丸くドームになった天井は、真っ青な青空だった。
「ああ、すごい。」
「喜んでもらえたかな?ここはね、空を見たいという人のために造られたドームだよ。君は、あの時から、懸命に自分を押さえていたね。それによって少し負担が増えたようだ。ここは、君のような人のために特別に造られている。人はね、忘れようとしても、求めてしまう『物』があるんだ。君にとって、それが『空』だったというわけだ。心が求めている『物』を無理に押さえつけるのは、時として、人の能力を低下させる。人の『忘れる』という能力もしかりだ。君もそうだった。しかし、これからはここに自由に来るといい。」
「ありがとうございます。とても嬉しいです。」
「でもね、これだけは守ってくれ。人に公言しない事だ。空を求めぬ者にはここの景色は毒になる。いいね?それが出来ない場合には君には思い罰が下るよ。」
 先生の目は、恐ろしく、鈍い光をつくって僕を貫いたので、僕はぞくりとして、あわてて首を振った。
「はい。わかっています。絶対に言いません。」
「よろしい。君は、優秀な生徒だ。僕は期待しているよ。」
 先生はそういって、僕の肩をぐっと押して、『ボックス』から出した。
「教室に戻る時は、さっき先生がしたようにすればいい。」
 そう言い終わると、また音もなく壁がしまって、先生は見えなくなった。

 
 
 
 
 
 

忘寂の空

鍵花
摘籠

 先生はそういって、僕の肩をぐっと押して、『ボックス』から出した。
「教室に戻る時は、さっき先生がしたようにすればいい。」
 そう言い終わると、また音もなく壁がしまって、先生は見えなくなった。


 僕は、何処までも続いているように見えるこの部屋を、しばらく歩き、そして思いっきり床に寝転がって、天の底を眺めていた。思い焦がれていた空は美しく、限りなく澄みきった青は、僕の心をぐっと包み込むようだった。
 何かが胸にこみ上げてきて、僕は静かに目を閉じた。目を閉じてなお、まぶたの裏には、青い空が浮かんできた。ただ、このドームの空と違うのは、ふわふわの綿菓子をちぎったようなひつじ雲が西の空のほとんどをおおっている事だった。ひつじ雲の下を、涼しげに風が渡り、遠くから子供の笑い声がした。・・あれはいつの事だったろう。そんな事を漠然と思いながら、目を開けると、そこには、覗き込んでいる見知らぬ顔があった。
「やぁ、こんにちは。」
 見知らぬ生徒の彼は、にっこりと微笑んで言った。僕は起きあがって、
「こんにちは。」
「驚いたよ。死んでるのかと思った。」
「そんな・・・。」
「いや、よくあるんだよ。空に恋した生徒がね、長い我慢を強いられた末にここに来て、感激のあまり心の蔵が止まってしまったり。随分長い事動かないんで、驚いたよ。」
 なつっこそうに話す彼の制服の胸元には水色のバッチが光っていた。
「五年生ですか。長いんですね。」 
「長いと言えば長いか。でもね、もっといるような気がするよ。どこかでごまかされているんだ。」
「このドームにはずっと来ているんですか?」
「ああ、覚えている感覚では二年くらい前から。君は初めてだね。どう?この空は。」
「とても綺麗です。ずっと空を見たかったから、すごく嬉しい・・。」
「ああ、君はずいぶんと若いようだね。久しぶりだ、若い人は。」
 彼はそう言って、悲しそうに微笑んだ。僕は3年生で、2年しか違わないのに、変な事を言うなと思い、僕は怪訝そうに、彼の目を覗き込んだ。そうすると彼は、重いため息をつき、僕の脇に座った。
「君は、うまく忘れているんだね。うらやましい事だ。僕は、君より何年も多く・・それこそ、覚えがないくらいにここにいるのに、ちっとも忘れられないんだ。『世界』の事が。君は『世界』へ帰りたいと思った事はないのかい?」
「せかい?!それは何の事ですか?」
「『外』の事だよ。霧の向こうの現実だ。僕らがかつていたところだよ。」
「外・・ですか?それは恐ろしいと思います。なぜだかは・・わからないけど・・外は怖い。」
「なぜに怖い?僕には、ここの方がずっと恐ろしい。」
「どうしてですか?ここは安定している。誰も何も荒らしはしない。外は怖い。外は変化しているから。霧が立ちこめたり、黒い生き物が鳴いたり・・一歩も踏み出せないじゃないですか。」
「ここが安定している?単調な管理された生活、すべてを忘れていかせるための巧妙な計算された教育。他人の存在さえ感じない閉ざした白い心。僕は確かに忘れたかったが、それはこんなふうにじゃない。」
 彼はそう感情的に叫んで、膝に顔を埋めた。僕はそれを見て、ズキンと胸が痛んだ。そして、胸の底のない奥から、雲間から日が差すように、何かが見えるような気がした。しかし、それは瞬時にして例えようのない恐ろしさに代わり、僕は彼をそのままに、置き去りにして、ボックスに急いだ。
----思い出したくない!
弾む息の中で誰かが叫んだ。
----思い出したくないんだ!
 僕の中の『誰か』が叫んだ。それは、僕の知らない『誰か』だった。今の僕ではない別の『誰か』だった。
 一度、彼を振り向くと、彼は膝を抱えたまま、こちらを見ていた。遠くて表情まではわからなかったが、光の加減か、彼の髪が一瞬とても白く見え、その手足は、少年の物より長くて、その座り方がとても不自然に見えた。彼の後ろにはとても青い、変化のない空が広がっていて、彼がとても悲しげに見えた。
 それからしばらく、僕はドームへは行こうとしなかった。

 
 
 
 
 
 

「はい。」
 僕はそれ以上の事を考えなかった。
 先生にうながされて、その『ボックス』に入る。開いていた壁がみる間にしまって、奇怪な感覚が僕を襲い、しばらくして、乾いた「チン」という音がした。
「さぁ着いたよ。君は驚くだろうね」
「なんですか?」
 目の前の壁がまた、すっと開いた。そして、僕は息をのんだ。そこには、空があった。
 丸くドームになった天井は、真っ青な青空だった。
「ああ、すごい。」
「喜んでもらえたかな?ここはね、空を見たいという人のために造られたドームだよ。君は、あの時から、懸命に自分を押さえていたね。それによって少し負担が増えたようだ。ここは、君のような人のために特別に造られている。人はね、忘れようとしても、求めてしまう『物』があるんだ。君にとって、それが『空』だったというわけだ。心が求めている『物』を無理に押さえつけるのは、時として、人の能力を低下させる。人の『忘れる』という能力もしかりだ。君もそうだった。しかし、これからはここに自由に来るといい。」
「ありがとうございます。とても嬉しいです。」
「でもね、これだけは守ってくれ。人に公言しない事だ。空を求めぬ者にはここの景色は毒になる。いいね?それが出来ない場合には君には思い罰が下るよ。」
 先生の目は、恐ろしく、鈍い光をつくって僕を貫いたので、僕はぞくりとして、あわてて首を振った。
「はい。わかっています。絶対に言いません。」
「よろしい。君は、優秀な生徒だ。僕は期待しているよ。」
 先生はそういって、僕の肩をぐっと押して、『ボックス』から出した。
「教室に戻る時は、さっき先生がしたようにすればいい。」
 そう言い終わると、また音もなく壁がしまって、先生は見えなくなった。

text | oriya

鍵花
摘籠

 
 

忘寂の空

ちこめたり、黒い生き物が鳴いたり・・一歩も踏み出せないじゃないですか。」
「ここが安定している?単調な管理された生活、すべてを忘れていかせるための巧妙な計算された教育。他人の存在さえ感じない閉ざした白い心。僕は確かに忘れたかったが、それはこんなふうにじゃない。」
 彼はそう感情的に叫んで、膝に顔を埋めた。僕はそれを見て、ズキンと胸が痛んだ。そして、胸の底のない奥から、雲間から日が差すように、何かが見えるような気がした。しかし、それは瞬時にして例えようのない恐ろしさに代わり、僕は彼をそのままに、置き去りにして、ボックスに急いだ。
----思い出したくない!
弾む息の中で誰かが叫んだ。
----思い出したくないんだ!
 僕の中の『誰か』が叫んだ。それは、僕の知らない『誰か』だった。今の僕ではない別の『誰か』だった。
 一度、彼を振り向くと、彼は膝を抱えたまま、こちらを見ていた。遠くて表情まではわからなかったが、光の加減か、彼の髪が一瞬とても白く見え、その手足は、少年の物より長くて、その座り方がとても不自然に見えた。彼の後ろにはとても青い、変化のない空が広がっていて、彼がとても悲しげに見えた。
 それからしばらく、僕はドームへは行こうとしなかった。

よ。」
 なつっこそうに話す彼の制服の胸元には水色のバッチが光っていた。
「五年生ですか。長いんですね。」 
「長いと言えば長いか。でもね、もっといるような気がするよ。どこかでごまかされているんだ。」
「このドームにはずっと来ているんですか?」
「ああ、覚えている感覚では二年くらい前から。君は初めてだね。どう?この空は。」
「とても綺麗です。ずっと空を見たかったから、すごく嬉しい・・。」
「ああ、君はずいぶんと若いようだね。久しぶりだ、若い人は。」
 彼はそう言って、悲しそうに微笑んだ。僕は3年生で、2年しか違わないのに、変な事を言うなと思い、僕は怪訝そうに、彼の目を覗き込んだ。そうすると彼は、重いため息をつき、僕の脇に座った。
「君は、うまく忘れているんだね。うらやましい事だ。僕は、君より何年も多く・・それこそ、覚えがないくらいにここにいるのに、ちっとも忘れられないんだ。『世界』の事が。君は『世界』へ帰りたいと思った事はないのかい?」
「せかい?!それは何の事ですか?」
「『外』の事だよ。霧の向こうの現実だ。僕らがかつていたところだよ。」
「外・・ですか?それは恐ろしいと思います。なぜだかは・・わからないけど・・外は怖い。」
「なぜに怖い?僕には、ここの方がずっと恐ろしい。」
「どうしてですか?ここは安定している。誰も何も荒らしはしない。外は怖い。外は変化しているから。霧が立ちこめたり、黒い生き物が鳴いたり・・一歩も踏み出せないじゃないですか。」
「ここが安定している?単調な管理された生活、すべてを忘れていかせるための巧妙な計算された教育。他人の存在さえ感じない閉ざした白い心。僕は確かに忘れたかったが、それはこんなふうにじゃない。」
 彼はそう感情的に叫んで、膝に顔を埋めた。僕はそれを見て、ズキンと胸が痛んだ。そして、胸の底のない奥から、雲間から日が差すように、何かが見えるような気がした。しかし、それは瞬時にして例えようのない恐ろしさに代わり、僕は彼をそのままに、置き去りにして、ボックスに急いだ。
----思い出したくない!
弾む息の中で誰かが叫んだ。
----思い出したくないんだ!
 僕の中の『誰か』が叫んだ。それは、僕の知らない『誰か』だった。今の僕ではない別の『誰か』だった。
 一度、彼を振り向くと、彼は膝を抱えたまま、こちらを見ていた。遠くて表情まではわからなかったが、光の加減か、彼の髪が一瞬とても白く見え、その手足は、少年の物より長くて、その座り方がとても不自然に見えた。彼の後ろにはとても青い、変化のない空が広がっていて、彼がとても悲しげに見えた。
 それからしばらく、僕はドームへは行こうとしなかった。

 
 
 

text | oriya

 
 
 
 

 何日かして、僕は先生に呼び出された。
「どうだね。ドームは気に入ったかな?」
「はい。ドームで5年生の人の会いました。とても悲しそうで・・気の毒でした。」
 僕がそういうと、先生の顔は曇り、
「気の毒?君は、その5年生にそんな感情を持ったのかね?・・・困るね。君は知らないかな。ここの規則に、『他人に興味を持たず必要以上の関わりを持たぬ事』という項があるのを。」
「知りません。」
「そうかね。では、覚えておくといい。人のことなどすべて考えぬ事だ。自分を追求するということは、人から隔離することだよ。人の存在は君を変える。君をどろどろにとかしたり、がちがちに固めたり、君の望む変化のない世界を妨げるものだ。つまらぬ事を考えているとすべてが無駄になる。今までの君の勉強の成果が。」
 先生は鋭く僕を見た。その冷たく、鋭利な刃物のような視線を、僕は初めて機械的だと思った。奥を覗き込んでも何もない、ただ、がらんどうな洞のような。そして、僕は今までと違う意味でおそろしく思った。ゾクリとした。
「・・・はい。」
 僕は、先生の言葉を納得せぬまま、単調に今まで通りの返事をした。なぜ納得がいかないのか、考えようとしたが、長いこと考えることを拒んだ頭は、錆び付いて動こうとはしなかった。
 僕は、指導室を出て、ふと彼の所へ行ってみようと思った。ドームに行けば会えるはずだと思った。
 彼は僕の知らないことを知っている。僕が世界を忘れ学校になじむのと反対に、彼は学校になじめず世界について覚えている。彼ならわかるかもしれない。僕がなぜ、変わったか。どうして先生のいうことをおかしくなんて思うのか。彼は知っているはずだ。
 僕は確信にも似た気持ちを胸に、先生の忠告も忘れて、ドームへと急いだ。


「やぁ。もう来ないかと思ったよ。」
 彼は、初めて会った時のように、にっこりと笑って、僕を迎えた。

忘寂の空

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鍵花
摘籠

いて覚えている。彼ならわかるかもしれない。僕がなぜ、変わったか。どうして先生のいうことをおかしくなんて思うのか。彼は知っているはずだ。
 僕は確信にも似た気持ちを胸に、先生の忠告も忘れて、ドームへと急いだ。


「やぁ。もう来ないかと思ったよ。」
 彼は、初めて会った時のように、にっこりと笑って、僕を迎えた。
 僕は、その笑顔に、先生とは違う暖かさがあるのだと知った。彼は、外の世界を知っている。覚えている。そのことが彼を強くしているのだろうか。僕は、彼の横に座り、自分も思いっきり、にっこりと笑ってみた。古びたコンクリートのように、こわばった顔の筋肉は、きしむ音を立てながら、それでも何か違った喜びを僕の中に感じさせた。僕は、何かいてもたってもいられない気持ちになって、思いつくまま話した。
「一体、僕は、何をなくしたんだろう。何を忘れたのか、まったく思い出せないんです。元々何も持っていなかったのかもしれないけど、それでも、何か大事だった物を歩くたびに落としているような・・。あなたに会ってから、僕はいろんな事を思い出しました。言葉や・・・心や・・・感情や・・。ドームに来なかったのは、自分が寂しい事を思い出したくなかったのかもしれません。人を忘れることによって、自分を忘れようとしていたのかもしれない・・・。」
「ああ、君は随分わかったね。それなら君は見えるかい?本当のことが。だまされていない本当の姿だ。僕は世界のことを忘れられずにいるが、反対に、自分の事はすっかり忘れてしまった。自分が何者で、自分はどこから来たのか。君ならわかるか。その謎が。」
「・・・わかりません。それより、もっと教えてください。外のことを。そうすれば僕ももっと思い出していくと思うんです。」
 それから僕らは何度もドームに足を運び、二人でわかったことや、その不可解な学校の謎についても語り合った。
 僕らは、だんだん親しくなり、お互いになんでも話せるという小さな秘密を持った、多分この学校で唯一の、友達同志になった。
 時々、先生にいろいろな質問をされたが、僕は今までどおりの返事で演技を続けた。
 そんな中である日、いつ行っても変わりのない、澄みきった青空のドームで、彼は嫌気がさしたようにため息をついて、
「僕らは不幸かもしれないね。何も気がつかなければ、どんどんいろんな事を忘れて、何も感じず、何も疑問になんて思わないで、この偽物の生活にも慣れていられたかもしれないのに。本当の空が見たいなんて思わなかったろう。僕は最近すごく思うんだ。空が見たい。こんな変化のない作り物の空でなく、本物の空を。そのためなら、あの白い霧の中に走り出して、命果てるまで、逃げ尽くしてでも本当の空が見られればいいとさえ思うんだ。」
と言って涙を流した。
 僕は、学校を探ることは一種の謎解きのように楽しんでいる節があって、出ていきたいというようなことは思いもしなかった。何か、ここを出ていくということは、とてもおそろしいという気持ちがどこかにあって、とてもそんな気にはなれなかった。それに、学校の外は、それこそ、ミルク色の迷宮であり、そこに足を踏み入れることは、すべてが終わるのだと頭の奥に染みついているのだ。
『終わるって何が?あの中に飛び込んでいって、生きて帰った者はいないと聞くが、そんなことが僕をおびえさせているのではない。その先が怖いのだ。僕は外の世界を恐れているのかもしれない・・・。』
 隣で、悲観的になって泣いている彼の背に手を置きながら、僕はそんなことを考えていた。彼はそのと世界にどこかしら夢を見ていた。彼は、この学校は巨大な足枷だといい、、外の世界はその足枷を取り除くのだと思っているのだ。彼

 
 
 

すっかり忘れてしまった。自分が何者で、自分はどこから来たのか。君ならわかるか。その謎が。」
「・・・わかりません。それより、もっと教えてください。外のことを。そうすれば僕ももっと思い出していくと思うんです。」
 それから僕らは何度もドームに足を運び、二人でわかったことや、その不可解な学校の謎についても語り合った。
 僕らは、だんだん親しくなり、お互いになんでも話せるという小さな秘密を持った、多分この学校で唯一の、友達同志になった。
 時々、先生にいろいろな質問をされたが、僕は今までどおりの返事で演技を続けた。
 そんな中である日、いつ行っても変わりのない、澄みきった青空のドームで、彼は嫌気がさしたようにため息をついて、
「僕らは不幸かもしれないね。何も気がつかなければ、どんどんいろんな事を忘れて、何も感じず、何も疑問になんて思わないで、この偽物の生活にも慣れていられたかもしれないのに。本当の空が見たいなんて思わなかったろう。僕は最近すごく思うんだ。空が見たい。こんな変化のない作り物の空でなく、本物の空を。そのためなら、あの白い霧の中に走り出して、命果てるまで、逃げ尽くしてでも本当の空が見られればいいとさえ思うんだ。」
と言って涙を流した。
 僕は、学校を探ることは一種の謎解きのように楽しんでいる節があって、出ていきたいというようなことは思いもしなかった。何か、ここを出ていくということは、とてもおそろしいという気持ちがどこかにあって、とてもそんな気にはなれなかった。それに、学校の外は、それこそ、ミルク色の迷宮であり、そこに足を踏み入れることは、すべてが終わるのだと頭の奥に染みついているのだ。

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忘寂の空

鍵花
摘籠

もそんな気にはなれなかった。それに、学校の外は、それこそ、ミルク色の迷宮であり、そこに足を踏み入れることは、すべてが終わるのだと頭の奥に染みついているのだ。
『終わるって何が?あの中に飛び込んでいって、生きて帰った者はいないと聞くが、そんなことが僕をおびえさせているのではない。その先が怖いのだ。僕は外の世界を恐れているのかもしれない・・・。』
 隣で、悲観的になって泣いている彼の背に手を置きながら、僕はそんなことを考えていた。彼はそのと世界にどこかしら夢を見ていた。彼は、この学校は巨大な足枷だといい、、外の世界はその足枷を取り除くのだと思っているのだ。彼がいうには、僕らは元々、外の世界で暮らし、そしてその中で知ってはいけない何かを知ったために、ここですべてを忘れさせられているらしいのだ。僕が外を恐れるのは、その忘れなくてはならない何かがおそろしいのか・・それとも、この恐怖さえも、学校の意志によるもので、僕は単に操られているのか・・・。
 彼はそれから何度も、『本当の空が見たい』と口癖のようにいうようになった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

------その瞬間、何かが変わった------



 僕の心は、一瞬、月の光に打ちぬかれて、真っ白になり、徐々に色を取り戻した。空には満ちた月が、僕の肩を強く押すように、濃く、青く照らしていた。
 知らぬ間に僕は立ち上がっていて、より近くに月の光を浴びようとしていた。
 僕はすべてを思いだしていた。
 僕が何者であるのか、どうしてここにいるのか。その一部始終は、空に浮かぶ白い空虚な丸いスクリーンに映し出された。だんだん、僕にかかった邪悪な魔法が溶け始め、瞳は本当のことを映し出していた。何者にもゆがまされていない事柄を。
 僕は少年でも何でもなく、学生という年でもなく、骨張った四角い手をした三十過ぎの男だった。ぐっと握ると、遠い日の忘れかけていた力がみなぎってきた。
 その時、僕の足下に、白い影がちらりと横切った。それは毛布にくるまった彼だった。彼は頭まですっぽりと毛布をかぶり、細かく震えていた。僕はかがんで彼の様子をうかがった。ドキリとする。
 毛布の間から見える手は、何十年も苦労を重ねた、深いしわの刻まれた間違いなく老人の手だった。僕は驚いて彼のその乾いた手を握り、床に向かって訳のわからないうめき声を上げている彼の肩を起こした。
「逃げましょう!今すぐ、ここをでるんです!」
 僕はうなだれ嘆く彼の身を揺り動かし、そう叫んでいた。彼はゆるゆると顔を覆っていた手をはずした。彼の毛布がばさりと落ちた。ぬけるように白い髪に浅黒い顔の、力の弱そうな老人は、目にあふれんばかりの涙をため、体の芯から絞り出すような声で己の運命を呪うように
「・・駄目だ・・。君だけ逃げなさい。私はもう駄目だ。」
「何を言うんです!あなたは外にでたがっていたじゃないですか。このまま、ここに残っていられるわけがない。僕らは、もう最後の魔法さえ解けてしまったんですよ。」
「君はまだ若い。外にでても生きていけるかもしれない。しかし、私はどうだ。十年あまりしか経っていないと思っていたのに、あれからもう四十年も経っていた。」
「何とかなります。何とかしてみせる。あなただって、奥さんや子供さんがいるでしょう。」
「そうだな、確かにいたさ。でもどうなっているかわからんよ。外にでて、私は生きていく自信がない。さぁ、行きなさい。夜が明ければ,また霧が濃くなる。さぁ、早く!」
 老人は僕を思いきり突き飛ばした。僕は驚いて老人を見たが、、彼は僕に背を向け窓辺に向かっていた。僕はやむなく、彼をおいて駆けだした。

 薄白くまとわりつく霧の中を、僕は必死に走った。遠くで、獣のような叫び声を耳にしたが、僕は振り返らずに、ただひたすらに白い迷宮に足をつきだしていた。

                                                     【END】

鍵花
摘籠

忘寂の空

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 そんなある日、近頃沈みがちだった彼が、晴れ晴れとした久しぶりの笑顔で、ドームにやってきた。
「空が見られるぞ。本当の空だ。」
 驚く僕の手を取り、彼は嬉々として言った。彼は息もつかずに、まん丸の目をした僕に、「本当に空が見られる日」について説明した。
 彼は密かに、寮内を探り、ある階段が、一つ飛び抜けて高い塔につながっていることに気がついた。そして、彼の長い間の統計によると、3日後、寮監は外に帰る日で、その日は、寮内を見回ることはない。
「だが、寮内を見張ることをしない代わりに、夜の食事に眠り薬が混ぜられる。誰しもぐっすりと寝るように。だから、僕らはそれを口にしてはいけないよ。眠ってしまうから。」
 皆が眠る寮内で、僕らは二人で空を見る。霧の薄くなる夜中ならば、その高い塔に登れば、空を間近に見られるはずだ。
 僕はすぐさま、その計画にのった。そして、彼が本当の空を見ることで元気になってくれればと思った。
 そして、僕らの計画は予定通り、つつがなく実行された。僕らは静かに、霧があけ、うっそうとした雲があけ、その向こうに濃く深く、美しいであろう、藍の空がでてくるのを待った。


 ふいに風が吹いて、僕らの頬を優しくなぞった。羽織っていた毛布が、光を帯びるよに白く光り、石畳を青く照らし出し、僕らは、はっと空を見た。